SENSE OF BLUE DISTORTION

介護士として活躍していきたいつもりです

ターミナルケア。介護サービス。

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A

死ぬ前に、生きるために何かをする必要はないし、違う。充実とは、生きるために、次につなげるための効果を持つもの。死ぬ前に充実することをしても、意味を持たない。生に執着することになる。それは、間違ってることとは思わないが、正しいとも思えない。死ぬのに、生に執着するのが果たして正しいことなのかということ。

生きるために、人生を整理し、100%、自らの手で人生を完結させる。これが、必要なことだと思う。そのためには、生に執着するのではなく、安全に「生」という場所から離れるためのプロセスを、クリアすること。これが必要なんだと思う。

これを患者本人の能力に頼り、サポートすることをするのが、医療的な終末期ケアである。サポートではなく、確立されたサービスとして、利用者の能力を借りて実現するのが、介護的な終末期ケアである。

どちらも同じ結果を目指すものである。だが、本人の能力次第ではなく、福祉を行う側の能力で、すべての利用者にその効果を実現出来ることが可能なのが、介護サービスにおける終末期ケアである。

B

終末期ケアは、現在、医療の分野として確立しています。しかし、僕は、終末期ケアは、介護の分野だと考えています。理由は、人生を整理するという行いは、治療(医療的知識)では、解決出来ないからです。(介護保険を使う)利用者の心や生活に寄り添うことが目的の介護士なら、それが解決出来ると思うのです。

人生の整理のためにすることが成立していてこそ、「終末期ケアを扱う」と言えるのであり、そのためには、人生の整理とは何なのか、それが出来るためには、何が必要とされるのかを導き出す必要があるということなのです。

現在の、看護師が主体となって行っている終末期ケアでは、患者、利用者の能力、つまり、「凄い人間」でないと、人生の整理は出来ないということなのです。終末期ケアを受けた人が、全員、人生の整理が出来るには、終末期ケアを行う側の能力でなければ、ならないのです。

僕は、介護を志す人間として、終末期ケアで介護士が何をするべきなのかを考えました。

僕は、終末期ケアは、介護保険で扱うべき分野と考察します。         

ターミナルケアは、正しく、受容の時期へと入ることが出来るように、抑うつの時期を確実に、クリア出来るかで、決まる、決すると言っていい。

生きる意欲、生活する気力が、低下して(消失しかけて)、(日常生活を)生活しにくくなる。それにより、抑うつ状態になる。これは、一つとして、自分の価値を失うことでの、アイデンティティのためのウツもどきによるものと言える。この症状は、必ず、原因が存在する。すなわち、原因を見つけ、解消する。自分の、性格、特性などを含む概念としての価値を見つけて、再確認することで、問題が解消され、(日常生活を)生活しやすくなる。それには、臨床心理士のカウンセリングではなく、自分で、解決することをする心理学的技術の必要性を示す。

存在の根のところで自分を受け入れアイデンティファイ(確認する)していないと、確実な「死」という人間の最後の通過点を受け入れなければいけなくなった時、必ず、人間のアイデンティティはゆらぐのである。そのためには、自分のアイデンティティの再確認、再認識が不可欠となる。

アイデンティティは、人それぞれ人の数だけ個性があり、自分で再認識することは、容易ではない。だが、ターミナルケアにおいて、ケアチームに臨床心理士を招いて、チームアプローチを依頼するのは、終末期ケアという、本人や、ケアのスタイル上、厳しいものである。なおって、元の場所に戻って、社会でまた生活をしていくために受けるのが、カウンセリングなのであり、終末期ケアの患者(利用者)は、戻る生活そのものがないのである。そこで、臨床心理士の代わりとして、白羽の矢が立つのが、介護士である。介護士には、身体介護、生活援助の他に、相談、助言という役割がある。この助言という枠の中でこのことがおぎなえると僕は考える。その、自分で、抑うつの状態を正しくクリアするための(心理学的)技術、システムの提供、つまり、助言として、患者(利用者)にアプローチする。それを患者(利用者)自身が、自身で対策を行い、自身で問題を解決する。そして、正しく、受容(最後の休息)の段階へと進むことが可能になるのである。

このような手法で、ターミナルケアで、受容(最後の休息)につながる、抑うつ(無力感)の時期を支える。それが、従来の、生きるための希望につながる、身体介護、生活援助に加えて、ターミナルケアにおいての、介護職員に求められる役割である。この技術提供で、これがあれば、大丈夫と、患者(利用者)が感じとることが必要なのである。

他に、相談という介護職員の役割もある。これは、患者(利用者)の話を聴くことが主、ベースになることである。ただ、傾聴し、共感的応答をするだけでは、終末期ケアにおいての介護職員の役割は、果たせない。

本来、介護職員に、一番身近な存在として、介護においての利用者は、信頼を寄せるのであるから、介護職員は、それを自覚し、その役割を果たせれるような働きを利用者にしていくべきである。終末期ケアの場合は、傾聴するだけでは、利用者は、聴いてくれてると心からの満足をしない。どこかで、割り切って、こんなものだろうと納得をする。ターミナルケアにおいて、共感的理解において、利用者に安心を与えるには、哲学的センスがある必要があるということであると思う。ちゃんと、哲学というセンスの本質を掴んでいる人が介護をすることで、利用者は、その人に安心を感じとれるのだと思う。哲学には、人を安心させる部分がある。

利用者は、無意識に介護職員に相談をし、確実に聴いてもらえたと理解することで、「今の自分」という「答え」を見つけているのである。そのためには、聴く側の介護職員に哲学的なセンスがあれば、コミュニケーションを通じて、その哲学的センスからの応答として、自分の姿に重ねれるということである。それにより、無意識に、哲学的解釈で自分を受け入れることが出来るのである。

相談は、やさしさではない。やさしさのセンスである。哲学的センスは、人それぞれであることから、介護職員、それぞれの哲学的センスで利用者を介護すればいいということである。

身体介護、生活援助。助言。相談。この三つが、介護士の仕事であり、これまでに説明したこれらの解釈からの援助行為は、介護士しか成しえないことだと言える。では、技術について説明していく。1から4までの手順があり、この手順をくんで、自分のアイデンティティを分析し、何を自身に助言するかを探求していく。

1

仕事、家庭、恋愛、性格、特性などを照らし合わせて、今抱えている問題のテーマを見つけて(一つとは限らない)、そこから今の問題を持っている環境を、つまり、自分に対しての疑問文を割り出す。

2

なりたい(自分の)状況をイメージ分析する。

3

(自分の)アイデンティティを発見する。自分の人生って何だったんだろう、自分はいったい誰なのかという、自分ということの概念としての価値観。

4

それを再確認、再認識出来るような助言を自分にする。

以上である。

自分の人生に関するアイデンティティが定まらないことのウツもどき症状を改善、解決する心理学的技術。こういう技術があるということを紹介すること(表現ではない)をする。患者(利用者)は、これがあれば、大丈夫と思う。後は、利用者自身がその技術を利用し、習得し、抑うつの時期を一番ベストに解決する。

これまでのケアは、全人的苦痛の中の精神的苦痛のケアである。上記に紹介したこれらのケアをし、介護士が役割を果たすことで、より正しく、利用者は、受容の時期に入ることが出来、社会的苦痛のケア、QOLを重視した、物理的な行動などによる「整理」が行われる時期を過ごしていくこととなる。

まとめると、結果的、ケアには、二つのポイントがある。

抑うつの時期までに、ある程度、正しいケアを受けれれば、抑うつの時期に入ることが出来る。でも、ある程度ではだめであり、ちゃんとしたケアを受けることが前提である必要がある。これが、一つのポイント。正しい過程で抑うつの時期に入れても、正しい過程で抑うつの時期をクリアしないと、受容の時期に入った時に、完全に定着出来ない。つまり、受容の時期を正しく経験出来ないのである。抑うつの状態に陥るプロセスと、改善するプロセスは同じではなく、さまざまな意味で、単純に見えて、複雑に成り立っている。ようするに、正しく、抑うつの時期をクリアすることが大きく重要視されることになるということ。そのための、介護職員による、心理学的技術の提供(助言)であり、センスを必要な傾聴(相談)であるということ。正しい過程で受容の時期に入れないことで、しっくりと定着出来ないことで、過程の中を、さまよい、過程を行ったり来たりする。つまり、どこかにある問題を自分で探すということになる。このようなことが、二つ目の、一番大きなポイントになる。

ターミナルケアにおいての、患者の、死の需要過程は、個別性が高く、複数の段階が同時に起こったり、行きつ戻りつしながら、時間をかけて死の受容に至るとされている。すべての段階を通るとは限らず、順番もバラバラである場合もある。受容に至らないまま亡くなる人もいる。が、死が確実な、患者にとって、受容の時期を正しく確実に経験をし、人生を明確に整理することは、この場合の一番ベストなゴールであり、そのタイプの患者においての、最後の人生における休息になるのであることから、ターミナルケアにおいて、このことは、「必須事項」と言えるのである。

人生の最後に(人生の)整理という時期を確実に経験出来るかが、終末期ケアのすべてであり、本質と言える。そのために、患者(利用者)が、それに繋がる過程を正しくつとめて、ベストにクリアしていくことが必要であるということ。

「死ぬための整頓は、生きるためにすること」。つまり、自分の暮らし方を自分で決めて、自分でできることは、自分でするための生活をするための援助。つまり、自立支援である。助言による心理学的技術の紹介。(自己カウンセリング)*相談によっての哲学的観念による自身の人生観の飽和。(介護職員に安心を感じ取る選択力)どちらも、出来ることは自分でする。自分のことは自分で決めるという自立支援の概念にかなっているのである。

 

最後に

植木理恵氏の本を参考にしました。植木氏によると、アイデンティティが定まらないことからくるウツ症状があり、このタイプのウツもどきは、自分自身が何者かということにふと気がついたり、仕事や家庭における自信を何らかの形で得たりすると、一気に元気になったりするということ。そして、アイデンティティがスポンと収まる場所というのは、往々として、言葉にしづらいものであることが多く、「何となく落ち着くな」とか「違和感がないな」と感じる場所でアイデンティティは自然と根付いていくもので、何かを強く求めて自分を築こうというのではなく、「何となく」という、‘‘ふわっ,,とした感覚で自分をとらえていることのほうが大切だということを書いている。哲学の本質をつかむためには、川上未映子の短編集、「ウィステリアと三人の女たち」を推奨します。

*これによって、これから先に関しての、覚悟のような踏ん切りがつく

障がい者枠を、タイムマシンととらえるアイデア。

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障がい者枠というのを、正しく、分かりやすくとらえる方法を紹介する。

タイムマシンととらえるということである。

さまざまな未来につながる一つの過去があり、過去が、健常者の世界。さまざまな未来が、さまざまなタイプの障がい者の世界である。

未来から過去に来るには、タイムマシンというツールが必要になる。これが、障がい者枠になる訳である。

つまり、健常者は、障がい者を未来から来た未知の人と思うことが正解なのである。

こうなるようにとらえることで、障がい者は、健常者の世界で、いろんな冒険や、探検が出来る。健常者と交流をすることで、友情が生まれることもある。ドラえもんの話でよく、あるパターンである。

タイムマシンを使わずに、強引に、未来の世界と過去の世界をくっつけると、時空のゆがみが生じ、いろんな不具合が生じる。つまり、健常者が障がい者に圧をかけることとなるのである。これは、障がい者にとってフェアではない。タイムマシンを使わずに、過去に行くことが出来ないからである。そのために生じる不具合なのである。

つまり、タイムマシン、要するに、障がい者枠は、健常者の世界に行くための、障がい者の、ツール、いわゆる、ドラえもんでいうひみつ道具であり、障がい者自身が、健常者の世界に設置、設備するものである。健常者が障がい者を理解するやり方は、タイムマシンで、未来から来た、未知の存在ととらえるべきであるということである。

心の独立は、「自身で、アクションを起こすこと」を言う。

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介護を受けてる高齢の人は、「介護は、自立するためにあなた自身が依頼してることだから、依存ではないんですよ」と言われても、助けられてる立場、弱い立場だから、言わない、思えないだけで、「いや、依存だよ」、「いつ、自分が楽をしたい、させて欲しいと言った?」というようなことを、心底では感じ、思ってるんだと思う。

現在の介護では、福祉を行う側主体で利用者を支える仕組みであり、つまり、介護を受けようと意思表明をする高齢の人の方からの、仕組みからを含めた依頼であってこそ、利用者主体で利用者を支えるというサービスが、成立し、行えるのだと思う。

介護は、依存である、「自律による依頼」である。改善案。

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まず、こちらをご覧ください。


【音楽療法の講義/実習/介護サービスの観覧】 2


【音楽療法の講義/体験による学習】 1

1

先に書く。これは、年配の人主体の考えである。

現在、介護とは、楽をしたいということの支えとしてある。

人間は、楽をしたいと、もう一つ、しっかりしていたいという、これがつまり自立、この二つが、天秤のようにつりあいながら、人間としての自立精神を維持している。この二つは、どちらも本音であり、本心なのである。

楽をしたいということの方が天秤として高く位置する状態では、人間にとってベストではないが、ありな状態と言える。これは、現在の高齢者と言われている人の姿を指す。これは、高齢者という立場を位置づけることから生まれた概念であり、心底心地いいと思う人はいないし、概念がなければ、必ず、そういう方向には人は、絶対いかない。

つまり、しっかりしていたいという、自立の方が天秤として高く位置してバランスがとれている状態が、人間としてベストな状態なのであり、そのためには、その精神と、その精神を持てることが可能と出来る身体の状態が必要となる。

このベストの状態を介護が必要な時期になっても維持するには、高齢の人が、人や、福祉の力を借りることを、自分自身の自立の一部として、負担なくとらえることが出来る、そのための、福祉を行う側の姿勢の変化が必要となる。

それは、つまり、介護を、老化防止の延長線上として位置づけることにある。アンチエイジングとは、老化して困る事態になることを、前もって防ぐことにある。それは、もちろん、医学療法だけとは限らない。つまり、アンチエイジング=医学なのではなく、アンチエイジングをする手段の一つに、医学療法があるということである。

つまり、説明すると、「前もって防ぐ」という言葉の意味は、どの位置で、どうやってということであり、たいした意味を持たない。老化防止のコンセプトであり重要なのは、「一時的な、老化して困る事態の回避が目的」ということである。

老化して困ることへの対処が、成立し、確立するということが、一時的な、老化して困る事態の回避へと直結する。要するに、幅広く意味を解釈して、アンチエイジングを、老化して困ることへの対処としてとらえてしまえば、老化して困る前に対処することだけではなく、老化して困った後に対処すること(介護)も、同じ、アンチエイジングなのだと言える。

これは、「アンチエイジングの介護療法の概念」というものである。

これにより、楽をしたいということの支えではなく、しっかりしていたいという自立の支えとして、介護を位置づけることが可能となる。

介護が、楽をしたいということの支えである、現在の概念では、本気で、自立していると思う、思える人はいなく、どこかで、助けられてる、つまり、自立できてないと思ってしまうものなのである。だからこそ、しっかりしていたいということの支えとして、介護を位置づけることが必要になるのである。

これまでの、楽をしたいということの支えではなく、自立の支えである、そのための福祉や、さまざまな人の能力を借りることは、さらなる永続的な自立への橋渡しに福祉がなるということである。自立は、人間にとってすべてといっていい程、人間らしく生活する上で不可欠なことである。人の力を借りて、さらなる自立のステージへと進む。そういう時代になっていくべきだということ。

つまり、従来の、しなくていい、しなくていいという、高齢の人に対する向き合い方から、もっとしてよ、もっとしてもいいんだよ、という向き合い方に変化するということである。高齢者と扱う、扱われることは、年配の人たちにとって、確実に大きく、生きるための力を損失してしまう。つまり、楽をしなさいという高齢の人への接し方を改める必要があるということである。楽をしなさいということを受け入れなければならないのは、人間の正しい生き方のルールに背くことになるのである。事実、アンチエイジングと言われれば、嫌な気がしないという年配の人の意見も得られている。

楽をしなさいという姿勢は、年配の人達に向けて、どうしても上から目線となる。威圧的な言い方となってしまう。このような福祉側の姿勢が、楽をしたいということの支えではなく、しっかりしていたいという、自立の支えとして、介護が位置づけられることで変化することで、高齢の人にとって、介護が、自分を消失し、破壊してしまうものではなく、違和感なく、心地いい距離感で受け入れられるものとしてとらえることが出来、そんな福祉がある社会で、今まで通りの暮らしが長期に渡って継続出来る、そのような高齢社会を僕は望む。

2

まず、言いたいのは、差別があるのが前提である考え方自体が、差別的思考であり、つまり、エイジズムという単語の存在自体そのものが、高齢者差別を促進する要素となっている。つまり、年配の人主体の考えの言葉ではないということ。

だから、アドボカシーとして書く。

差別がなくなるというのは、言い換えれば、一つの人権を勝ち取るということで、すなわち、改善ではなく、新たな場所への移行ということになる。

つまり、そのために、高齢者と呼ばれる人の立場が、向上する必要があるということ。女性が社会への進出を勝ち取ったように。奴隷制度がなくなったように。高齢者が、人間としての人権を勝ち取ることが必要だということである。

高齢者差別は、人間の人格に対する差別である。「はい、これから、あなたは、死に向かって、死に構えて生きていってください」とそんなことを言われたら、誰だって、精神が衰える。

現在のエイジズムは、高齢者以外の人が主体で生み出したものである。真の高齢者差別をしているのは、この言葉を生み出した当の本人だということ。年配の人達を、ひとくくりにして管理しようとする姿勢こそが、高齢者差別を生み出している原因そのものだということである。

つまり、高齢者への差別の原因は、年配の人達にある訳ではなく、それ以外の人達に存在するということを言いたい。年配の人を高齢者と捉えるからこそ、そのマイナス影響を、年配の人たちは抱えてしまうのである。管理されてると思えば思う程、精神が衰え、意欲が消失し、身体的にも良くない影響が現れるのである。

まずは、高齢者が差別されている原因を作っているのは、それ以外の人達自身であるということに気付いた所から始めてみるのがふさわしいだろう。

差別がなくなるためは、なくそうとするのではなく、あることに疑問を抱くことから始まる。つまり、何故、高齢者差別は生まれるのか、どうしたらなくなるのかではなく、何故、高齢者は、差別されなくてはならないのかということ。

高齢者が差別されないためには、それ以外の人達が、自分達を変える必要がある。

老化をしない人はいない。誰もが年齢を重ねていくのが人間である。高齢者とは、我々自身である。他人事のようにとらえること自体が間違ってる。高齢者の人権とは、人間全体の人権問題である。

つまり、述べたいのは、年配の人達を「高齢者」とし、管理していこうという姿勢が、エイジズムの骨組みにあたるということである。

老化とは、身体機能のことを指すのであり、つまり、心の老化というのは存在していなく、何らかの思考の切り替え、転換が、原因であると考える。つまり、僕は、「老化」と、いわゆる「心の老化」は、別ものととらえるべきと思う。ここから、その「心の老化」の原因を示し、その対処策を紹介する。

健康診断ならぬ、「暮らし診断」。
結論から説明すると、介護技術を用いて、アンチエイジングを行うサービス診断制度である。

老化しても、今までの暮らしを長く暮らせるようにするために設立。
介護が必要にならずに暮らせる状態を、出来るだけ長くキープ出来るようにするための制度。

介護技術の視点から、生活の習慣や環境を、新たに整えたりするアドバイスをする。(アドバイスのみ。それにともなった住宅の工事などはしない。)特に、ノーマライゼーションの実現を目的とし、ICFの考え方に基づいた支援を行うのが特徴になる。

介護保険は、困ってから困ったことに対応。
困る前に、困らないような暮らしを出来るだけ維持、キープするための制度。
(健康診断は、病気にならない状態を出来るだけ長くキープするためのもの。)
介護保険は、何かあった、問題が起きた次のステージでの対応であり、暮らし診断は、その前の、まったく健康な状態のキープが目的にある。

本人、もしくは、家族が要請することが出来る。
*健康診断と同じような、ワードとしての人々の認知度にする。

アンチエイジングの一つ。

このようなことは、医療技術では実現できない。介護技術での実現が望ましい。つまり、人間ドックや、抗加齢ドックではない手法。高齢者向けだからこそ成り立つ技術制度である。つまり、介護サービス版のアンチエイジングドッグである。介護サービスの視点からのアドバイスであると、医学的な視点から以上に、分かりやすく、(利用者にとって)適切な認識に出来やすく、生活に活かしやすいと思う。

個別ケアとしての、一人一人の生活スタイルに合った診断結果を提示出来る。医療分野以外での、ケアマネージャーを中心とした多職種によるケアチームでの診断になる。特に、介護士のさまざまなデータは大いに役に立つ。目標とする状態は、ADLをキープしながら、IADLを確実に遂行出来ること。それによって、機能障害を未然に防ぎ、社会への参加が問題なく行える。そのための、環境因子や、個人因子というベースを整える。その上で、これまで暮らしている通りの健康状態を維持、キープ出来るというメカニズム。それが、介護サービスの仕事であり、この、暮らし診断の内容である。ICFでの合理的な考え方からで成り立っている。

ケアマネージャーによる、診断材料としてのデータをとるアセスメントが基礎となる。一人一人において、どのようなハザードやリスクがあるのかの分析も必要になるし、ハインリッヒの法則に基づいて、三層においての事故が起きる可能性も探っていく必要を持つ。利用者が持っている最大のストレングスが何かを発見し、それを活かすことを勧めるのは言うまでもない。アセスメントする側の介護支援専門員には、傾聴と洞察が必須となる。それが介護サービスの良点である。

このサービス診断制度をアピールする上でのスローガンとしては、「今までしてきた生活の質を維持することを譲れない。今まで暮らしてきた生活の質を落とすことを許せない。」内容的には、正しいわがままで、正当な自分への要求になる。つまり、わがままを形にする介護サービス制度となること。現段階では、「わがまま」だが、この制度が社会全体に普及した後は、持っていて当然の主体性を重んじた権利という認知となると思う。

つまり、介護予防の技術サービスを、老化防止に使うということ。介護技術で老化防止をするのではなく、老化防止を介護技術で行うということ。

「暮らし診断」と、介護予防との分かりやすい違いは、老化することによって、長い間、今まで生きてきた考え方を、シフトする必要性があり、つまり、一つの判断として、「あきらめなければならない」のに対して、暮らしの物理的な維持だけでなく、自らの今までの人生に対する考え方も、まったく変えずに、維持するということを目的に含んでいるということ。これが、違いである部分である。老化を遅らせるのではなく、健康な状態を維持するという概念での「老化防止介護」となる。老化が進んで、介護予防をしないといけない年齢で、状態だが、それが老人っぽくて、若さを捨てるみたいで嫌だ、違和感が大きく存在するという人に適した介護サービスでもある。

ライチャードによる高齢者の人格の分類は、円熟型、安楽椅子型、装甲型、自責型、憤慨型の5つとされているが、僕は、どの型でもない、いわば、自然形という概念が存在すると思う。何故なら、高齢者とは、ただ、年を重ねただけの若者であり、あえて、そう分類する必要性はなく、分類する意味も皆無に等しいということ。考え方が何も変わらない、安全性を重んじた老化にともなった暮らしだけを変化させる、その対応性が重視されるということ。つまり、老化し、自然に年を重ねた暮らしの形が求められるということとなる。誰でも、今日から死に向かって生きていってくださいという処置をされたら、心の老化という現象は起きて当たり前であり、高齢者という単語の存在、使用が、心の老化と直結していることは間違いないと言えると思う。高齢者という単語は、人間の人格に関するハラスメントであるということに気づく必要があり、まずそこから始めることが大切である。

介護が必要になった時期が来ても、高齢者という立場ではなく、どこにでもいる一人の自立した人間として、アンチエイジング(暮らし診断)の延長線上として人の力を借りるということを、介護と位置づけるという価値観を持って、介護サービスの提供を受けることが実現出来る。介護とアンチエイジング(暮らし診断)の概念は、老化に伴った補助、(出来ることの)後押しが目的にあり、受ける時期が違うことの介護技術のサービス制度であるということ。つまり、老化をしても、老化防止(アンチエイジング)の概念で対応していくことが必要ということである。

障害者支援において、自立支援が行われる過程での利用者の滞留は、三時期に分かれる。一時期目は、出来ることが少ない時期。この時期の介護職員による介助は、出来ないことの援助(支え)になる。二時期目は、出来ることが多い時期。このような時期の介助は、出来ることの補助(後押し)となる。そして、三時期目は、高低(数値)の概念がない状況のスパンである。このスパンの介助とは、バックアップ(後ろだてとなること。援助してもりたてること)である。このスパンとは、すべてのことが出来ることによって、理屈的に、健常者と同じと言える状態の時期を指す。マズローの欲求五段階説の、自己実現の欲求を完全に満たしている状態になる。この事実は、概念が変わることを示す。承認の欲求までと、自己実現の欲求との壁を、完全に超えることが、障害者支援においての最終的な課題となる。これは、介護においても同じことがあてはまると言える。

人間の老化は自然現象である。が、精神の老化は、エンパワーメントの視点が必要となり、さまざまな、高齢者と言われる人に対してのハラスメントが関係していると考える。それらを全部取り除けば、精神の老化を最小限に留めれると考える。人間は、生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、自立した戦士であり、戦士の誇りを誰も失いたくないものである。その戦士の誇りは、人生を生きるということの基礎(土台)であると言え、つまり、誇りを途中で失う、または、奪われた人間は、生きるということに臆病に接するようになる。つまり、ガード意識を持って暮らすということである。いずれ死ぬことは、確実な事実であることから、構える必要はまったくないのであり、それに怯えて暮らすなんてばかげていると言える。戦士の誇りが維持されることで、生活のすべてが建設的に成立するのである。ICFの背景因子に、環境因子、個人因子の他に、普遍因子という概念が必要になる。それが、戦士の誇りを指す。それに伴った、健康状態へとつながるというICFの仕組みになる。この普遍因子が完全に起動するためのアドボカシ―が必要となるのである。「高齢者」という軍旗を立てるのを辞めてしまうその福祉改革が求められると考える。そのための「暮らし診断」という介護サービス制度の実行性なのである。普遍因子の起動の維持のためには、この介護サービス制度が的確な役目を果たすと考える。つまり、精神の老化を最小限に留めれば、介護が必要な利用者であっても、自立支援の援助を受け、地域住民や、福祉の力を借りて、最終的な目標の段階に達することで、理屈的に、生まれてからずっとしてきた生活と同じと言える生活が送れることが、理論上可能であると言えるということである。

いわゆる、ハラスメントと呼ぶことは、人間社会が持つ秩序が原因で生じる事象であり、言い換えると、天然犯罪と呼ぶことが出来ることである。あえて名前をつける意味はあまりなく、そういうものは、太古から人間社会にあったものであると考えられる。高齢者と言われる人に対してのハラスメント、人間の人格に関するハラスメントは、パワハラやセクハラなどの、人間社会があるから生まれるハラスメントではなく、人間社会がそうだからこそ生まれてしまうという、当事者主体のハラスメントであるということ。だからこそ、改革が可能であり、価値観を転換することで問題解決が出来るということになる。

自立支援は、健常者、もしくは、ずっとしてきた暮らし、つまり、何も問題がない状況の心身の、福祉を使った再現、維持が目的であり、したがって、根底にあるのは、「自分で何かをすること」という概念の援助の反復である。

介護保険というのは、正確には、「保険介護」である。介護保険を使うというより、保険の要素がある介護を受けられるというのが正しいと言える。保険というのは、直接、金銭によって、保険をかけていた人に、そのプラス要因が発生するものを言うのであり、介護保険は、そうではなく、金銭は、間接的なものでしか過ぎず、そういったものを保険と言い切るのには無理があると言えるからである。つまり、介護問題を保険で解決するという考え方には、夢はあるが、厳密に言えば間違った言い方となるのである。介護問題を解決するのは、金銭ではなく、単なるやさしさであると僕は思う。つまり、やさしさを活かした技術、それを行う介護士自身が、介護問題を、直接的に解決する要因と言い切ってしまってよいと言えると思う。暮らし診断は、いわゆる、介護士が行う健康診断であり、介護問題の解決分野において、成果を発揮するものと思う。

老化は、自然現象であり、悪いものではない。逆に、僕は、かっこいいと思う。姿は変わっても、人間の形は変わらずに維持出来る。21世紀の社会はそうあって欲しいと思う。

介護において、介護サービスは、「老化して困ることへの世話」であるからして、老化防止の概念で対応するべきことが、正解であると言えるということである。

まとめると、アンチエイジングの延長線で介護をするには、どうすればいいか。それは、介護士版の健康診断制度を設ければいいと思う。ICFの個人因子と環境因子を整えるアドバイスをする制度であり、これを受けた利用者や、利用者の家族が、自分で行動を起こし、自分自身の暮らしを「整備」する。こういった仕組みの制度になる。

人間には、前二つ以外に、普遍因子というのがあり、戦士の誇りと言えるもの。それは、しっかりしていたい。つまり、自立のことを指す。天秤で、そのようなバランスがとれている時期を、永続的に継続、維持する目的の制度であり、この制度があることで、後の時期に行われる「介護」も、同様にアンチエイジングの形態で行われるということとなる。

結論として述べる。つまり、2、3をふまえて、「先に行われる老化防止と、後に受けることとなる介護が、一つの直線の上で成り立つもの」ととらえると分かりやすいと思う。要するに、介護が、アンチエイジングと統合すると考えていいと思う。新たな、アンチエイジングの概念の、高齢の人への福祉制度としての、介護サービスが生まれるということになる。

イデアの介護サービス制度。「アンチエイジング介護保険」。

 

 

我々のユーチューブチャンネルです。

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戦争棄却宣言

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「我々は、戦争行為から引退する宣言をする。我々は、そういうものからリタイヤするということになる。スタートラインに、我々は、一度たりとも立ててなかった。我々は、思い上がってたのかもしれない。我々には、戦争を放棄する資性がなかった。」

実情と対策

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介護の現場の実情は、いわゆる、理想(正論)と現実(曲論)ではない。詳しく言えば、筋が通っていること(卓上の事実)と、筋が通っていないことであり、これは、筋が通っていることを認め、受け入れてる前提でのことである。つまり、非現実的なのではなく、方法が存在していないということなのであり、これから、改善の余地はあるということになる。それには、そのための考察や、アイデアを生む努力が必要となる。

サクセスフル・エイジング

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「基準を分けた現役」。後ろ立てではなく、現役として背中で見せる、生涯現役。新たな人間社会の創設。現役世代を二つに分け、時代を切り開ける能力のある、20歳~60歳の第一現役世代と、時代を切り開く能力を欠く、60歳以上の第二現役世代に分別する。現役世代は、二分割する必要がある。60歳以上の人は、今まで仕事をしてきたすざましい「経験」を持ってる。そういった人達が、その人達だけでの、それまでの現役時代とは、違う別の社会を作り、経験だけで、経験だけに頼って、何かを成し遂げようとすることで、経験を武器にした素晴らしいことが達成出来る。「アイデアの社会」。サッカーロシアワールドカップで、日本代表が見せたことを現実社会でも実現しようということである。これにより、「現役引退」という概念はなくなるのである。