たぐいまれな想像能力というスキルの発想。個人財産の量が違うことが当たり前という観念に、とらわれない。

応用転換をきかし、個人財産の量が違うことをそのまま活かすということ。

コピーと分別

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コピー出来るものは、コピーする。出来ないものは、分別する。

 

 

 

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本当の平等は現実上にはない。事実状況というものではなくて、発想を使ったとらえ方での理解の上で成立する。

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■不平等は解決出来ないのか 

人間は不平等なのが自然なのである。だが、その上で、平等になりたいと思う、願うのが人間である。近年、人類は、さまざまな主義を生み出し、その考え方で平等になろうと模索してきた。だが、やはり、不平等なのが自然という答えが適切なものであると言えるように、考え方の上での平等は実現出来ても、本当の現実、事実としての平等の実現には、まったく届かなかったのであると言える。これでは、このまま先に何をしても、人類にとってプラスなことは出来ないと言えるんだと思う。これまでの結果を受け入れた上で、前に進むために何が必要か。それには、まず、不平等が自然だということを、秩序的事実として受け入れることである。つまり、ここで違うのは、決して退化するのではないということである。今までの、平等になりたいという願望からの経験を活かすことで、発想という分野で、不平等という事実の上である平等を追求していく必要があるということである。つまり、不平等なのが当たり前で、それをどう解決するかということになる。どう解決することで、不平等を平等と理解出来るかとも言うことが出来る。事実状況ではなく、とらえ方という理解の手法で解決するのが的確である。

共産主義の考え方    

* 国の財産がみんなのもの⇒(分別する)個人個人

競い合いという概念が存在する故に、分別ではなく、全員に平等に分けることは出来ない。

■同調という新しい秩序の発想

* 国の財産、一つの基礎に対して、イメージ上で、人の分だけ数があり、一つ一つが、一人一人の所有であるということ。⇒(置き換える)国の財産が一人一人のものというくくり⇙

(100%全員に行き渡るようにプロデュースする)⇒個人個人に分別された手元のものは、「分別される前の対象物が一体の基礎である上で一人一人のもの」という認識になる。

一人一人を平等にするという考え方は素晴らしいと思う。が、人によって社会からの待遇が違うことは自然で、それは、競い合いが秩序である社会の宿命なのであると思う。その上で、地位、性別、体調、才能などの個人的なさまざまな理由で、所有する財産の量が違うことを、どう平等に思えるかということ。これを獲得出来るかが、主義を上回る価値観の習得に繋がると言える。個人財産の量が違うことをそのまま活かすということである。この発想により、「社会からの待遇の違い」が、違いではなく、「社会からの合致の待遇」という、合致という観念におさまるということになる。違いは、合致に置き換え出来るということである。「アイデア品、平等な社会」だと言える。「発想」は、自由などこにもおさまらない旅人であることから、秩序とまったく切り離されて成立するものということ。それは、つまり、このようなメカニズムですべての人に行き渡れば、本当の平等と言え、上記の未踏のことへの発想は、競い合いという概念に、大きすぎる打撃を与えるという資質を持っているということになる。つまり、真実に平等にしていく資材なのだということになる。

■創作の動機

ダダイズムという芸術を実体化する。これが、僕の、逃げじゃない理想。

■実質的事実

このイメージ上での平等の理解を持って過ごしていけば、現実上では平等ではなくても、発想として理解をしている以上、平等な社会で暮らしているという実質的事実となる。

■資料 メロンパンを同調という新しい秩序の社会に例える

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特徴:弾力感

□解説

個人財産の量が違うことが当たり前という観念に、とらわれない。

(応用転換)↓

個人財産の量が違うことをそのまま活かす。

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同調という新しい秩序(本当の平等)●この発想としてのイメージを持って暮らしていけば、現実には違っても、実質的事実として平等だと言える。

 

 

 

 

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