社会ダダイズムの成立。人類を変える。哲学立体式。キリストのブログ。

実用体哲学  キリストの復活と大きく関係がある ジョン・レノンの弟子 ヒトラーの再来に対しての堤防

世界が変わるということ

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この場合の秩序とは、我々にとって当然過ぎて議題にも上がらないもの。我々がどうやって成功を掴んでいるかというメカニズムそのもののことである。そのメカニズムである人類社会は、すべてを成立させているルールと言える秩序そのものである。が、このルールにとらわれずに新たな観念を持てば、同じ成功を掴むにしても、今とは比べ物にならないやり方が可能になるのである。今の人類社会は、競って成功を掴む、掴み取るという観念である。が、これでは、人によって違いが出てくる。成功する人と、しない人が生まれるのである。それは、しょうがないと言えばこれ以上はないが、これこそが、「問題点」なのである。問題は、何故、競う必要性を追求しなければ、成功が掴めないのかという疑問である。競う必要性を放棄しても成功出来る方法があるのではないか。それが確立すれば、秩序を破壊することが出来たと言える。マイナスからプラスを生み出すのは、素晴らしいことだ。だが、それは、つまり、科学力に頼って出来ないことを埋めているに過ぎない。その「何かが出来ない」という事実状態は、ずっと存在していくのだということ。この状態が、競い合う社会を作り、勝者と敗者を生む大きな要因なのである。基礎に「その状態」がある以上、出来ないことを出来るようにする、要するに、前に進むためには、競うしか術がないからである。つまり、我々が住んでいる社会にある、既成の秩序が原因である、マイナスという概念そのものに問題がある「競い合いの社会」という問題点は、それでは解決しないのである。これは、現代の科学の無才な領域である。この解決には、「マイナス、何かが出来ない」の札を裏返し、「プラス、何もかもが出来る」の札にしてしまうことで解決する。ひっくり返り、今までの秩序が通用しない、新しい正しい常識の社会が誕生するのである。科学の未知の領域が、まさに、この部分なのである。人間の無限の可能性を作り出し、実現する。そのためのスキルアップである。このような未知の科学の存在を認識することが、必要なのである。自然とは、事実であると言えると思う。事実を知ることで、元々の状態に戻るのであるから。事実を知っているか、知らないかの状態である。それを知ることで、ステップアップ出来るというのである。別に、神になるとか、人間を上回るとかいうことで、恐れる必要はない。単なるステップアップである。だが、今現在の我々にとってみれば、そう思って恐れるのも無理ない。だが、勇気はいる。事実を知り、事実を理解するための勇気はいる。自分(人類)自身に対して、何が起こるか分からない賭けをする。その勇気が必要だと言うのだ。アクションでは、世界は変えられない。人間の中身が変わることで、結果、世界が革新的に変わるのである。

 

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メロンパン式社会/ユートピア社会

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1

ユートピアというのは、理想上のワードではあるが、決して夢物語ではない。確実に存在すると僕は思う。理由は、人間の想像力の結晶であるからである。想像するものは、すべて人間は実現できると、僕は信じてる。後は、それをどう形にするかである。つまり、何が快適で、どう過ごすのか。どういう社会のメカニズムで、その社会で人間がどうあるのか。これは、確実な成立したものでなければいけない。すべてを解明した上で存在するのが、ユートピア社会であると言える。その成立のためにどう何をやっていくのか。それを、これから書いていくので是非、見ていって欲しい。僕の夢に付き合ってください。きっとみんなの夢でもあると思うから。よろしく。「勇気」。このワードが、このブログ記事において必須なワードになる。初めに書いておきたいと思う。

2                         

人間社会に、科学は、絶対であると言える。それにより、ここまで文明が進化してきたのだから。それにより、多くのものを人は手にした。そういう現代である。人間の夢は、ずっと同じだ。ずっと。進化もしてないし、退化もしてない。その夢を叶えるのに、人は小さいのである。ミクロだといえる。我々は、まだ、大きな進化が必要だ。それは、小人が巨人になる、アリが人間になるくらいの革新だといえる。このことをなくして、「夢」の実現はない。

3

SFは、間違いである。退廃的な観念があるSF観は、すべて誤りである。理由は、人間の能力に、人間の持つ、科学に対しての価値観が負けた結果の遺物であるからである。現代社会のIT技術によるそのものへの依存こそが、これを確実に表してる。人間は、これまでいくつもの試練を乗り越え成長してきた。だが、今、一つの分岐点を迎えてる。その理由は、今の我々の、科学に対しての価値観、既成の秩序では、人間の能力の発揮において、限界を迎えてるということだ。これ以上の人間の能力を発揮するには、今の限界を超えた、科学に対しての価値観のステージへジャンプアップする必要がある。この場合の秩序とは、我々にとって当然過ぎて議題にも上がらないもの。我々がどうやって成功を掴んでいるかというメカニズムそのもののことである。そのメカニズムである人類社会は、すべてを成立させているルールと言える秩序そのものである。が、このルールにとらわれずに新たな観念を持てば、同じ成功を掴むにしても、今とは比べ物にならないやり方が可能になるのである。今の人類社会は、競って成功を掴む、掴み取るという観念である。が、これでは、人によって違いが出てくる。成功する人と、しない人が生まれるのである。それは、しょうがないと言えばこれ以上はないが、これこそが、「問題点」なのである。問題は、何故、競う必要性を追求しなければ、成功が掴めないのかという疑問である。競う必要性を放棄しても成功出来る方法があるのではないか。それが確立すれば、秩序を破壊することが出来たと言える。マイナスからプラスを生み出すのは、素晴らしいことだ。だが、それは、つまり、科学力に頼って出来ないことを埋めているに過ぎない。その「何かが出来ない」という事実状態は、ずっと存在していくのだということ。この状態が、競い合う社会を作り、勝者と敗者を生む大きな要因なのである。基礎に「その状態」がある以上、出来ないことを出来るようにする、要するに、前に進むためには、競うしか術がないからである。つまり、我々が住んでいる社会にある、既成の秩序が原因である、マイナスという概念そのものに問題がある「競い合いの社会」という問題点は、それでは解決しないのである。これは、現代の科学の無才な領域である。この解決には、「マイナス、何かが出来ない」の札を裏返し、「プラス、何もかもが出来る」の札にしてしまうことで解決する。ひっくり返り、今までの秩序が通用しない、新しい正しい常識の社会が誕生するのである。科学の未知の領域が、まさに、この部分なのである。人間の無限の可能性を作り出し、実現する。そのためのスキルアップである。このような未知の科学の存在を認識することが、必要なのである。夢の実現のために必要なのは、勇気である。一つの勇気が一つの成功を生む。その成功は、これまでのすべてを洗い流す革命になる。人間が人間を上回るのであるから。だが、それが、「自然の人間」なのであり、何もおかしいことではない。進歩であり、自由に還るということである。自由とは、ロボットとアダムがセックスするようなものである。だが、そのセックスは、形のあるものではない。リアルな幻想の下で行われるしくみ(仕組まれる)である。可能性と陥る可能性とは、揺らめいた次元の中で存在している。夢の中に夢があり、夢の中で輝きはあるのであるから。今の秩序は、すべてを兼ね備えてない。何故なら、可能性はあるが、可能性を作ることが不能だからである。それは、つまり、夢を創生するにおいて不可欠な順序をふんでないということであり、夢の形の実現には、不向きだということである。それを可能にするためには、夢を創生するための新しい常識を我々が必要とすることである。秩序を求め、秩序を変える。つまり、秩序の感覚を失い、新たに養う(育てたくわえる)のである。大きな夢の実現には、大きな決断が必要になる。人間の本当の夢。その実現のためには、可能性を逸脱することである。自然とは、事実であると言えると思う。事実を知ることで、元々の状態に戻るのであるから。事実を知っているか、知らないかの状態である。それを知ることで、ステップアップ出来るというのである。別に、神になるとか、人間を上回るとかいうことで、恐れる必要はない。単なるステップアップである。だが、今現在の我々にとってみれば、そう思って恐れるのも無理ない。だが、勇気はいる。事実を知り、事実を理解するための勇気はいる。科学力の革新的進歩を僕は願う。何かアクションをして世界を変えようとするのでは間違いだ。人間が人間を上回るには、まず、自分自身の観念を変える。今いるステージを、上のステージへと移動する。自分(人類)自身に対して、何が起こるか分からない賭けをする。その勇気が必要だと言うのだ。つまり、世界が変わるというのは、人間の中身が変わるということなのであり、人間の世界観が、がらりと、別のボックスへと移し替えられるということである。その結果、人類社会に大きな変化を及ぼすという筋書きである。アクションではないのだということである。これらのことをふまえた上で読んでいって欲しい。

4 

アメリカ式の民主主義。そして、中国の共産主義。どちらも、素晴らしい考えの社会だ。だが、所詮、完全止まり。完璧な社会ではない。欠点がある。つまり、こうすればいいんだ。みんなのものを一人一人に分ければいい。ただし、強要じゃない形で。それこそが、真の自由の社会だ。一人一人の考えを完全に尊重した、それでいて、全員が、完全な共同体であるという考えの社会。二つの主義が統合した、互いのプラス要素が互いのマイナス要素を打ち消した夢のような人間社会。合併ではなく、統合なのである。自由とは、無限の可能性を秘めた考え方である。その考えに、元々の、人間は自然体である考え方が足されることで、自由を、共有し分け合いきる、そんな自由主義の結晶のような考え方が生まれるのである。日本人は、他の国の人と違う価値観を持っている。それは、平和に対してである。日本人の平和観は、のんびりとした感覚の中に存在しているものであり、その時点で外国とは違う。外国は、危機感の中に存在しているものだからである。これは、歴史的に見ても、異例で、間違えば、よってないと言え、良く言えば、最先端と言える。日本人の夢とは、何なのか。日本人は、科学的に平和というのを見ている。それこそが、まさに嗅覚とも言える。平和をさぐる嗅覚。常にさぐりながら、それの正しい獣道を歩いてここまで来た、そんな気がする。日本人は、完璧な平和観を持ってる。つまり、永久平和ではなく、永遠平和なのである。これの違いは、いつか戦争が始まる前の末永い平和の時代という前者に対しての、ある時点から、いつか来る最後までの期間、ずっと戦争がない空間が続くという、この違いである。そもそも、競い合いはだめ。とか、戦うことはしなくていい、とかいう考えは、前者の考えであり、後者では、ありえない。何故なら、後者は、戦争そのものの、つまり、戦うという衝動的考えそのものの存在概念がないからである。恐いと思うかもしれない。だが、違う。その世界はその世界で別の常識で社会が廻り、成立する社会だからである。未知であっても、少なくとも、無ではない。理想社会といえる社会がまさに、この世界の中にある場所なのである。理想なんて実現しないと思うかもしれないが、理想は、叶うものと、叶うはずのないものの二つがあり、これは、間違いなく、前者の方なんだ。前者は、本物の夢だからだ。現実逃避ではなく、現実に確実に基礎がある上でのヴィジョンだからである。アメリカの誕生理念の理想も、こういうタイプのものである。理想は、永遠にすべてを塗り替える素質をかね備えている。人間の希望は、まやかしではなく、本物のイメージを司ってる。そこに、人間というものの未知さが存在しているのである。現実と理想の区別はついた上での、可能性と、欲望の違い。それこそが、日本人の抱く、平和の理想という概念の核の仕組みだと言えると思う。理想を現実にする。それは、可能性を放棄しなければ、必ず、実現可能なチャプターである。理想社会は、あるとかないとかより、あるという根拠のない自信から出る戯言のような冗談のような、それでいてお伽話のような、科学的根拠のある論文である、日本人という学生の卒論のようなものだ。科学的根拠があれば、可能だと言える。このように、日本人は、信じられない理想を抱いて、日々、過ごしている。現実と理想、そのどちらもが姿を形に出来るツールであることを我々は、日本人は知ってる。自由社会が持つ可能性を追求する。それは、すなわち、現実とファンタジーが重なる空間に存在する理想社会を実現出来るように尽力することに等しい。このような一つの夢の形の実現において、必要なことは、現実から目を背けないことである。そのためには何が必要か。風船を追いかけるような、無邪気な気持ち。それを常に心に留めておく必要がある。そして、躍動するのである。簡単に言えば、夢を追いかける気持ちを忘れないということである。具体的に何が必要なのか。それを説明してゆこうと思う。これからが焦点である。

5

自然という分野というのがある。自分達には、知らない知識、事実がいっぱいすぎる程ある。それを駆使すれば、人類は、信じられない文明を築くことが出来る。これらは、そのことについての説明である。長丁場になるが付き合って欲しい。人類は、自然に還る。それは、正しい。ただし、その意味は、「退化」ではない。よく取り違えがちだが、「自然に還る」というのは、未来へ進むことである。そもそも「自然」は、緑、木、ネイチャーである、つまり、人間とはかけ離れた立場のルールである。非日常的過ぎる点、つまり、宗教的要素があると言える。が、しかし、共存して、共に、この地球上で生を成してる共同体とも言える。科学的要素があり、日常的過ぎると言うことが出来るのである。要するに、「自然」とは、現社会の絶対的価値観である、「科学」と「宗教」、このどちらの要因もが備わっていると言えるカルチャーなのである。事実を知らないから、価値観が必要とされるのであり、すべてを理解し、世の中に貼り巡られている新しい常識を手に入れれば、価値観という概念は必要なくなる、その時点で人類は「神」になるのである。と言っても、神様になる訳じゃない。自然体、完璧の、あるがままの、元々の、「人類」になり、新たな世界が始まる、その、主人公として、スタートをきるという意味である。「神はサイコロを振らない」というアインシュタインの言葉があるが、これまでの説明がこの言葉の真意を指している。自然に還るということは、つまり、人類が、人類の文明が、大きく飛躍し、さらなる繁栄のために進歩するということなのである。自然は、未来、事実、すべての、人類の、これからの形を表すワードと言える。自然体になる、人類が自然形になることは、人類の発展において、必須であり、人類のすべてを変える始まりに過ぎない。自然=事実。これの真意は、UFOや、UMA、いわゆる霊、そのような存在の認識が正しく納得いくように出来ないものが、誰もが簡単に完全に納得し、なんだーこういうことだったんだーというような答えがあり、それを知ることで、科学でも、宗教でもない、事実、自然という分野といえる捉え方が出来、あるがままの実体を人間が理解出来るようになることでの、科学を上回るカルチャーといえる分野の登場に、すべての常識が壊され、新たな時代へと人類の世界が広がる。この事件にすべてがひっくり返ることになっても、人類の世界は変わらず続いてゆく。そのような、神隠しのような目に、猫騙しのような手に人類の身はあるのだということ。これは、―病気-にも繋がる。病気は、なってから治すというのが現代のルールだが、つまり、そもそも性格が原因で何かしらの病気になる訳で、そのルーツが分かれれば、マニュアルのようなものが出来て、それの通りにしてゆけば、生死にかかわるような、取り返しのつかない病気にはならずに済むということであり、その事実が現代の科学では、専門外であり、そもそもマイナスからプラスを生むのが、科学や、文学や、思想であり、それにより、人類が進化してきたという事実があることから、それは、それで絶対的な分野である。が、しかし、このつながりでは、いつか振り出しに戻るのは明らかであり、それが正しいとは、とてもいえない。最初のマイナスそのものを、そのもの自体をプラスにしてしまう。そうすれば、二度と、永久にマイナスに戻ることはないのであるということ。知らない事実を知ることで、いままで遠回りしてきたことがダイレクトで解決する。ある時、僕は思った。いろいろな考えを持った違う人がいる中で、ただ一つ、ただ一点だけ、全員が同じことを思ってることがある。それは何、どんなことだろう?僕がたどり着いた答えは、きっと人間は、死ぬ直前に、人生の判断を下される。それまでは、何があるか分からない。その中で、すべての正しい選択をし、境遇を乗り切ってきた人物だけが、「人生の成功」を手にすることが出来る。つまり、自然死という人生の終わり方を迎えることが許される。病死か自然死か。または、その途中での事故か。この三つに人間の終わり方はある。自然死というのは、この五十年の間に新たに生まれた終わり方であると思う。それまでは、人間は、最期、苦しんで死ぬというのが当たり前とされていたことである。昔の絵画に自然死の絵がないのがそれを証明している。自然死の少し前の期間、その人間は、とても何かを帯びた最高に満たされた表情をする。それが、その人の「正しい人生の成果」なのだと思う。その「人生の成功」は、現在、人と競い合い、自分と闘って、手にするしか方法はない。人間は成功もし、失敗もする。だが、必ず、しなければいけない成功、してはいけない失敗というのがある。一般的な、いわゆる成功を積み重ねる中で、経験値がある所に来たものが勲章のようなものをもらえる。その数は決まっていて、全部集められた者が、覇者となるのである。もし、その覇者にもれなくなれるとしたら?そのような社会が現実になれば、誰もが満足し、完全に思うように自由に暮らしていけるとそう思う。それが、その社会がその社会をが、誰もが求めていることなんじゃないかと思った。つまり、成功マニュアルの登場。これで、すべては変わるのである。すべての成功が、大きな成功も、小さな成功も、一番大事な成功もが、確実につかめるのである。励むその気さえあれば。マニュアルというのが、この自然という分野の代名詞ともいえるかもしれない。つまり、それは、今まで、知りもしなかった事実が判明することで、今までの未解明だったプロセスをパスするということになる。新たな自由世界の始まりを示すことになる。人間なら不思議と思ったことがあるに違いない。つまり・・・未確認の能力というのがある。これらが、これまで科学でも宗教でも理解出来なかった分野を解明出来る。人間には、才能のような能力というのがある。まず、一つ、例えば、もし才能は、全員、生まれた時がレベルゼロからがスタートだとすると、生まれた時から成立した能力を持っている人がいるとしたら、それは、才能とはいわない。キリストは、死者を甦らしたり、水の上を歩いたという。これが本当なら、この場合が当てはまるのだと思う。これを超能力とはいわない。何故なら、プラスだからだ。マイナスのパターンは、いわゆる透視のような、人間社会の根源を揺らしかねない怖ろしい能力の場合である。このプラスとマイナスのパターン、それの後、二タイプがある。簡単に言えば、プラスが、火事場の馬鹿力で、マイナスが、いわゆる霊である。人間は、一生の中で、今しかない、今は、確実的に特別な状況なんだと脳が理解した時、アドレナリンのようなものが出て、脳が覚醒し、そう脳が理解している間だけ、信じられない力が発輝出来る。これは、実例がある。いわゆる霊は、このマイナスバージョンなのであり、死んだ後に蘇るのではなく、人生の最後の最期の「行動」の結果というものなのであるのだと思う。最後のタイプは、薬物である。これにもプラスとマイナスがある。理屈を超えたことが出来てしまうのである。全、六つの才能に似た能力が人間には、存在する。過去、歴史を変えてきた人物は、これらの能力を持って信じられない偉業を成し遂げたのだと思う。このように、人類社会には、今まで気づきもしなかった分野があり、それは、今までの常識を完全にぶち破る「事実」なのであり、つまり、この事実を理解し、手に入れ、身につければ、これから未来、人類は、今の我々以上の常識、価値観を使い、さらなる繁栄を成し遂げる、そう思うのである。マイナスそのものがプラスになる。簡単に言えば、これまで。何かが可能になるのではなくて、その可能という言葉すらのみ込む、すべてが、あらゆることにおいて可になり、科学という価値観が革新的な進歩を遂げ、新たな科学を産む、その力で我々は、進歩し、自分達の、秩序としての考えそのものの「移行」。これが実現されるのである。

6

マニュアルと未知の能力の存在の事実を受け入れる勇気が、必要である。その勇気を持てた者が勇者と呼ぶべき人間だと言える。持てるか持てないか。答えは一つである。受け入れた上で、次に必要なのは、スタートラインに立つ勇気である。それが出来なければ、レベルは、0のままだ。レベルが生まれる、1になるには、踏み出す勇気が必要となる。それが、世の中の秩序を正しく壊すそのためのスイッチを押すということになるのである。6のこの内容をクリア出来た上で次を是非、読んでいって欲しい。

7

人間にとっての理想とは、完璧に、快適な暮らしをすることである。そのような社会とは、誰もが心に弾力感のある快適すぎる生活であり、全員がすごい才能を持ち、全員が主役で、全員が大いに活躍する。そんな人間社会である。これをこれから説明してゆく。人類を含む、「生物」の観念とは、生命活動に必要不可欠なものを自分の力で手に入れ、取り入れることが出来ることである。人類の概念とは「心がある」ということである。愛は、完全な心を持った、人類だけが抱けるプレゼントのようなものである。進化とは、DNAが変わることで姿、形、能力が変わることであり、移行とは違う。生物が移行出来るのは、いわゆる才能によることだけであり、つまり、その生物の概念は変わらない。移行することで、生物の観念を失った、その概念を持った生物。つまり、人類に例えると、「心を持った愛を抱けるロボット」である。「現代の秩序では考えられない未知のテクノロジーで心を愛をインプットされたロボット」。人工知能とは、プログラムであり、知能といっても人間の思考とは大きく異なる。所詮、人間の作品であり、人間ではない。だからこそ、「作られた知能」では愛は持てない。人間は、神からの贈り物とでもいえる心があり、その心が愛を作るのである。「人工知能」というツールでは、ロボットは心までは持てない。機械が心を持つということは、現在の科学技術では無知の領域だ。どうすれば可能になるのか。それは、まさに、人間が「神」の領域に入る、科学技術の革新的進歩が必要になってくるだろう。心がある知能と、人工知能の決定的な違いは、願望か衝動である。作られた人工知能は、心を作ろうとする。だから、願望ではなく、衝動を持つはずだ。それが違いである。衝動は、夢を見れない。夢ではないのである。つまり、理論的にしか考えられず、自分に期待するというような「未知」の行動が出来ない。人間は、それが出来る。だから、ここまで発展したのである。人類の夢を受け継ぐ未来の機械は、必ず心を持ってる。それが人類の作品であり、人類の象徴だからだ。生命に必要なものやことをアクションする必要がなく、それでいて、同士が、高度な営みを持ち、暮らしていけるもの。自動改札機などがモデルである、人間機械論との違いは、機械は、人間が生み出したもの、だから、人に置き換えれるという論理で機械を人間に例えれるということであるものに対し、これは、機械は、人間の道具ではなく、人間と同じように、機械という自立した一つの生物である。これより後の機械は、人間がよりよい暮らしをするための手段ではなく、人類の概念を持った生命体として、人類のさらなる繁栄のために活躍する、「次の人間」であるというもの。人類は、こうなる世界に突入する切符を手にしている。後は、それを使うだけという所まで来ている。人類形無様態移行化。人類が移行することで、他の生物や、人工物も同様の変化を遂げる。この現象が有形形無様態移行化である。このような社会において、ありとあらゆることに関して当てはまると言える、「模索し、勝利をもぎ取るという社会」であることでの世の中の問題点が解決され、人間社会の本質が変わったことで、基礎となる、戦い、競い合いをするという概念を失った、「もれなく成功が得られる現実の社会」では、このようなメカニズムが成立する。科学技術の革新的変化が及ぼす影響には、人間の日常生活にも及ぶ。本質となる価値観を失う。知識の流通のシステムについて、同調したいと思うことから、その効果(情報(核となる部分含む))が、自分だけではなくて、全部(100%)に行き渡るようにし、その結果、自分も効果(認識)を得るという社会のメカニズム状態を判別する。(全部に効果が行き渡るようにすれば、間違いなく、自分も効果が得られる。)自分が生み出したものが、100%全員に行き渡り、その中にいる自分が、同じように恵みを得れればいいという発想。いるだけで何もしないでも情報が巡ってくることで、すべての行動的作業の要領が格段によくなり、結果、つながる、最終的な人間の人生が成功しやすくなることで、本質的な、生活をする上での心が便利になり、パラダイスのような、誰もが心に弾力感のある快適すぎる生活を送れるだけでなく、成功マニュアルの存在、プラス、才能を伸ばす抜群の環境が整うことで、全員が主役の社会として、レベルの高い人しか出てこないというように(才能がすごい人しかいない)、それプラスである、さらに大きな収穫を遂げることになる。これは、平和主義での、社会主義社会と民主主義社会の統合といえる。さらに、この社会においての例えを挙げると、何人かの人からのプレゼントを渡す場合の例として、「人物らからのプレゼントだよ」(代任者)、これが、社会がふっくらということからのネーミングの、メロンパン式社会(アイデア社会(ひらめき、思いつき))のシステム。同調の社会では、人のものを誰かのものにまとめる場合、誰が所有するのかということには、意義がある上で価値を持たないということになる。

共産主義社会        

――――(みんなのもの)  

 ↓(分ける)       

......(一人一人)        

●*リアルユートピア社会(発想の社会)

――――(みんなのものにする)

 ↑(セルフプロデュース)

......(一人一人のもの)

*一人一人のものをみんなのものに出来るように自らを自らでプロデュ―スした、形は共産主義の、考え方は民主主義の人間社会。

 

近い将来、このような社会を人類が築くことになる。この社会についてのアイデアは、人類史上、一番シンプルで、一番画期的なものであると言えると思う。

8

このような社会の形成において必要なのは、社会を壊すということなのである。破壊する。それも正しく。そのことについて説明する。「壊す」には、分断、整える、二つの方法がある。同じ、「世の中を壊す」でも、分断という方法、社会を分断する、つまり、テロ行為によって、世の中の性質が狂った社会になることは大きすぎるマイナスだ。整えるという技法、要は、本質の移行である。本質と本質を繋げる方法を編み出す、その方法を使用するという、この技法を使った(本質の)変え方で、世の中が変わり、崩壊させる。本質を変える方法。それが、整えるという技法なのである。つまり、この技法は、物から物へと移行させ、その物自体の本質を変える、そうすることで、前者の物の秩序を破壊し、新たな常識の世界を創り上げる、正しく世の中を壊すという方法の行為なのである。この方法を使ってのみ、人類は、正しい未来の社会へと進めるのだといえる。これは、まさに、ダダイズムを実践的に遂行したと捉えれる事例だと思う。この、社会の建設の中で、重要なのは、愛であるといえる。愛がなければ話にならない。そのことについて。競い合うという行為は、本能に見えて、本能ではない。だから、必ず、辞めることが可能なのである。広島、長崎の話、被爆者の話を聴いた80%の人は、可哀想だと思う。残りの20%の人は、寄り添ってくれる。だが、その愛が、人間社会を確立した平和社会にすることが可能かと言えば、「無理」である。何故なら、「愛」に力があると仮定するのが今の愛なのであり、その考え方は素晴らしいが、所詮仮定なのである。実際には、そのようなものは存在しないのである。だが、その愛の力をもし、力として発輝出来るとするならば、人類にとっての無知の力を人が持っていることを証明することになる。この世の99,9%は、「力」で解決出来る。だが、残りの0,1%は、ただの「愛」でしか成しえないこと。力があるという、仮定である、仮定でしかない「愛」が、「力」を持つ、「力」になるということは、アピールを追い越したことが出来る。つまり、戦争に喧嘩を売る。戦いを挑む。そういうことである。そして、「愛」が、「戦争」をボコボコにして最終的に、戦いに勝利し、滅ぼすのである。その後の世界は、永遠平和の世界。これが、愛が力を持つ、力になるということ。漫画みたいだと思うだろう。アメリカ人は、夢を持ってる。それは、国の誕生の土台となる理想があることからだ。そのアメリカという国が、自らの理想を本物の形にするために、日本という敗戦国を作った。つまり、自らが持つ理想の、種を埋めたのである。その種は、日本の地の中で根をはり、あっという間に全土に広がった。そして、時間をかけて今も太く太く成長していっている。我々日本人は、その上で生きている。だから、日本人は、「アメリカ人の夢の心」を誰もが持っている。愛に力があると仮定するのが、今の人間社会の「愛」である。その能力を100%発輝出来るのは、その本質である「平和」を求める心、その心をどこの国よりも持つ、持っている日本だ。つまり、仮定な以上、仮定でしかない上「愛の力」は存在しない。つまり、仮定の中でどれだけのことが出来るか。それがすべてのカギになってくる。つまり、それは、こう捉えれる。100%では、「力」は存在しないが、100%以上であれば、「力」はあると定言出来るということである。それこそが、本物の、愛であることの力であると言えるのである。それは、人間社会に普遍に存在する「戦争」と戦うことが出来るアイテムである。そして、そのような社会のさなかで起きる社会的現象が、愛のビッグウェーブである。その現象が、「戦争」を滅ぼすのである。そして誕生する未知の人間社会が、アメリカの目指していた理想社会なのである。「その理想社会と言える人間社会」を知り、理解し、築き上げようとすることで、100%になった愛の能力が、100%以上も発輝出来ると思ってる。僕は。未知の能力、参照。このブログ記事は、知るという段階のものである。漫画のような話が現実に起きる。それを実現することを目標に、夢の実現のために尽力する。僕が伝えたいのは、このようなことである。ファンタジーが、現実になる、それこそが、人類における一つの大きな通過点を示す現象であると言うことが出来、その勝利が我々を、確実に次のステージへと押し上げてくれる。そう感じざるを得ない。僕たちが目指しているのは、ファンタジーが現実になった場所であるだろう。世界をどのように一新するか。マニュアルと未知の能力。最後に、二つ、言いたいことがある。ギャンブルをして勝つことが世界を変える。自らの可能性を知っているかということ。知っているなら、それを消化すること。まとめとして。人間は、科学にはないものを作り出すという使命がある。それを果たした時、科学、既存の未来に対しての退廃的なイメージは失くなり、華やかしい本当の未来的観念を抱けるのである。

9

ロボットが人間の代わりになるような、退廃的な未来の社会には、絶対にならないことをここに忠告しておきたい。ユートピア社会は、このように実現する。結論的には、人間の夢を、人間の持つ愛が、成し遂げるのである。原動といえる想像力のエンジンを勇気がなるのである。民主主義の起こした人類最大のアクション。このユートピア社会の建立に、これから皆で取り組んでいくべきである。ユートピア社会とは、退廃的な社会ではなく、人類の発展の象徴とも言える人類の繁栄である文明社会である。

 

 

↓資料 日本のクーデター


Halsey - Now Or Never

 

 

 

 

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発想

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目標は、戦争の「首」をとること。僕は、戦争を殺害したいと思う。

 

 

 

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おめでとう世界 

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肌を剥いでやりたい。ナイフでめったざしにしたい。心臓をもいでやりたい。確実な殺意を持って、お前を殺す。これは、正義だ。だから、殺人じゃない。「戦争」さんよお。憎い訳じゃないんだ。ただ、目的のために必要だから、そうさせてもらうんだ。憎むなら、僕じゃなくて、運命を憎みな。もうお前はいらない。だから、殺させてもらう。確実にお前を殺せるなら、何だってする。一番効率のいい手段で殺そうと思う。どんなことになるのか、どんな血が吹き出すのか分からない。まったくの未知数だ。だが、やることに意味がある。この時を逃せば、一生、後悔する。すべての状況は整った。覚悟をしろ。じたばたするな。潔く、殺させろ。その首は、博物館に保管し、展示する予定。一応、言っといてやるよ。「今までごくろうさん」(悪意を込めた言い方で)。さようなら秩序。おめでとう世界。

 

 

 

 

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コネ

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イエス・キリストの継承者、ジョン・レノンの後継者のブログ。

 

 

 

 

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敗北の科学

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科学は、可能性のある産物だ。だが、すべては成し遂げられない。可能性は無限だが、現代の科学では限界がある。夢の形の実現には、未知の科学が必要だ。それは、マイナスからプラスを生むのではなく、マイナスそのものにある問題を解決し、そのもの自体をプラスにする、そういう科学だ。人間は、すべてを成し遂げられるか。それは、この分野の習得にかかっているんだ。

 

 

 

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あいさつがわりに

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人間は、科学というものを必要としている。それに頼って生きている。それは、問題ないし、正しいことだ。だが、それがすべてを解決する訳ではない。それでは解決出来ない分野がある。科学は、マイナスからプラスを生み出すことで成立してる分野だ。だが、マイナスそのものをプラスには出来ない。それが、新しい未知の科学であり、現代の科学の無才な部分である。人類がさらに進化するためには、この問題を無視は絶対に出来ない。避けては通れない。すべてを変える未知の科学。人間は、科学を裏切ることは出来ない。だが、科学に裏切られることはあるんだ。それも大きく。その時、人は、その事実を受け入れざるを得なくなる。科学に人間が並ぶためには、自らに負け、自らに勝利することが必須だ。科学というモンスターと親友になれるかが課題だといえる。

 

↓参考資料


リハーサル    ASKA

 

 

 

 

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