世の中が変わるセンス

無才感という、戦いに代わる新しい秩序概念。

自立支援における最終的な目標

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自立支援が行われる過程での利用者の滞留は、三時期に分かれる。一時期目は、出来ることが少ない時期。この時期の介護職員による介助は、出来ないことの援助(支え)になる。二時期目は、出来ることが多い時期。このような時期の介助は、出来ることの補助(後押し)となる。そして、三時期目は、高低(数値)の概念がない状況のスパンである。このスパンの介助とは、バックアップ(後ろだてとなること。援助してもりたてること)である。このスパンとは、すべてのことが出来ることによって、理屈的に、健常者と同じと言える状態の時期を指す。マズローの欲求五段階説の、自己実現の欲求を完全に満たしている状態になる。この事実は、概念が変わることを示す。承認の欲求までと、自己実現の欲求との壁を、完全に超えることが、自立支援においての最終的な課題となる。

「ゲット・バック」セッションの真実。ジョンの代弁。

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このセッションから生まれた「LET IT BE」という2枚のアルバムがある。70年にリリースされた方は、ビートルズのオリジナルアルバムとして出された。後に、ポールは、リリースに満足していないというコメントをしている。フィル・スペクターによる編集によるこのアルバムがポールは気に入らなかった。しかし、ジョンは、ある程度満足していたというコメントを残している。この違いは、そもそもこのセッションの本質にある。このセッションが成功したかどうか。それは、大失敗である。形にすらならなかった。つまり、成功品、失敗品の音そのものが存在しないのである。このことから、結果を意識するジョンにとってみれば、形のないものを、「形にしてくれた」、そのフィル・スペクターに感謝があったのである。しかし、ポールは、「行程」に価値を見出していた。だから、存在しないものを強引に形にした作品を受け入れられなかったのである。

結果が何もないその行程に意味はない。しかし、このことに挑戦出来たのは、ビートルズだけという部分が存在する。当時、ビートルズがこの「セッション」でしようと試みていたことは、世の中の雰囲気を変えた功績を持つビートルズの音楽をさらに進化させ、世の中そのものを変えようと、そこに挑戦しようとしていたのである。つまり、ビートルズそのものを超える挑戦ということになる。が、それは失敗に終わった。それは、つまり、本来の目的である、ビートルズを超えることが出来なかったということになる。が、もし、成功出来ていたらどのような音楽だったのだろうと模索すると、鳥肌が立つくらいぞくぞくするような気がする。つまり、挑戦したこと自体に価値が存在するということになる。

このセッションの行程、つまり、当時のセッション自体の「記録」に魅力がある、それを楽しむ、その価値そのものを楽しむのが、後に出た2枚目の「LET IT BE」の正しい楽しみ方である。ビートルズの現役最後の「LET IT BE」は、行程自体を商業化し、その華やかさという魅力を楽しむ音楽だと言える。

2枚目のアルバムのタイトルを個人的につけると、「ビートルズの決意」はどうだろうと思う。

安全な魔界への侵入

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人工知能に滅ぼされる。それは、悪くない人類の終わり方だ。

民主主義の代わりに共産主義はなれない。なれないが、代役は務められる。魔界の巣は、アジアにある、世界第二の社会主義国が最もふさわしい。リーダーではなく魔王。魔王は、主導者ではなく軸である。リーダーシップをとる必要がない。不気味な妖艶さがあればいい。

アメリカの世界の秩序システムの代わりに、北朝鮮をサークルとした社会が出来上がる。これは、人類にとって悪いことではない。北朝鮮は、イスラム国とは、「悪」の質も度も違う。安全なディストピア

日本は、エンターテイメント化する。ファンタジア化と言っていい。アメリカと中国は、リーダシップを失い、不気味な魔王の国が、世界を統一する。それが、アメリカに一番近い国と、中国に一番近い国が友好を確実なものにするということ。つまり、民主主義と共産主義の赤ん坊化である。それを象徴する。

北朝鮮の求めている、自国が(絶対に)攻められないという保証という、核兵器を持たなくていい見返りは、自身が軸となり、世界の平和を築き成すことを遂げることに等しい。

彼らが目指しているのは、核兵器を、人類の手に負えないから置き去りにするという技法で、世界平和を構築するという前代未聞のやり方である。つまり、核放棄ではなく、核遺棄による平和社会である。核兵器に見限られることが、世界平和と言えるという斬新なケースである。

核兵器を管理することを辞める。管理することの中で使うのだから、管理がないということは、世の中に存在していても、すべての国の管理下から離れているため、その脅威は、ゼロである。すべての核兵器をまとめてどこかにつめこんで、置き去りにして暮らしていく社会も悪くない。プロセスは何にしろ、そういう世界平和もあるということ。

技術知識 本質博士の必殺技講座

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●こき使うと、粗末にするは違う。会社がこき使うのは当たり前だぜ。

 

 

●犯罪者とは、社会から追い出さなければならないような社会の脅威となる人物のことを言うんだ。したがって、薬物使用者は違う。自身に害があるだけで、個人が使うだけでは、広まることに繋がらないから。犯罪ではある上で、犯罪者とは違うということになるんだ。

 

 

●罪を償って得するものはいないね。被害者も憎むことで大いに疲れるんだし、刑務所を出た所で良い人間に成長出来るとは限らないしね。

 

 

●スタートラインに立ってない者は、結果(実績)なんて残せるわけないんだ。監督としての器ではない人が、自分を作った時点で優勝は無理だよね。

 

 

●スポーツは、見る側は、エンターテイメントでも、する側は違うよ。する側がそうだと、楽しませることが目的のサービス業のようになってしまうからね。スポーツは、直接喜ばせるのではなく、結果を残すことで、間接的にファンを楽しませるものであるから。結果を残すという仕事と、利益を追求する職種は別だ。

 

 

●頭がいいことに酔う=自己満足。それをしてプラスのことは何も生まれないよね。

 

 

●主義(民主主義、社会主義)なんてそもそもたいしたことない。マイナスのものだから。民主主義は、分かりやすいという良い点がある。が、言い換えれば、単純なのであり、シンプルならいいのだが、単純ということは、それに伴うマイナス要因も生まれる訳で。必ずしも、選挙で、有能な人物が選ばれるとは限らないんだし、つまり、当選を多く重ねた人材が有能な人物とは限らないということになる。

 

 

●戦争は本当に暗かったのか。つらくて苦しくても暗いとは限らないよ。

 

 

●DNAが優れてる人は、優れてない人にもてるし、優れてない人は、優れてる人にもてる。これが仕組み。

 

 

●戦は、戦術ではなく兵力だよ。でもね、相手にしていないくらいの余裕、つまり、超楽観的な場合と、ふいをついたケースと、すざましい戦術が重なれば、逆の場合もありうるんだ。

 

 

●人を騙すのは、悪い人で、自分を騙すのは、演技。つまり人を「見抜く」というのは、アセスメント、調査によるデータ上の割り出しに過ぎないんだ。見た目での判断は不可能だよ。

 

 

●素直には、自分に素直と、人に素直があるんだ。前者は、いいことで、後者は、騙してくれというようなもの。(世の中の)罠にかかりやすい人ということとなる。

 

 

●売名行為は、才能の低いレベルの低い人がすることなので、しても、世に出れることはない。出れたのなら、力を借りただけのことになるんだ。

 

 

●一つの社会における、4つのパターンの組み合わせ論

レベルの高い人、レベルの低い人。良い人。悪い人。レベルの低い人と、悪い人は、ピンからきりまでいるからね。

 

 

●プライド論

プライドを有効的に使えるのは、最上位、1位、つまり、チャンピオンだけだから。2位以下のプライドは、マイナスに働くよね。つまり、失敗することとなる。

 

 

●人間バランス論 

バランスのとれている人が、成功する理論。

 

 

●こだわると悪く感じることがあるんだ。凝ると薄くしか分からないような時もあるし、その中間だと何も感じないような部分があること。物事をちゃんと楽しむには、オタクのなってはだめなんだ。凝る、凝ってしまうことで、見えなくなるもの、分からなくなるものもあるのかもしれないと思う。

 

 

●選挙。選んだ人は、候補者のことを知らないんだし、候補者は、まだ何もしてないのに評価なわけないよね。。

 

 

●自己決定は、自立であるということ。

 

 

●老化は病気ではないということ。

 

 

●自分に都合がいい嘘はつくが、都合が悪い嘘はつかないから。社会主義国

 

 

●宇宙に知的生命体は、一つの部族しかいない……。もしいたとしたら、それは、我々がそこへ行ったということ。

 

 

●世代によって生まれる問題は、コミュニケーションの問題ではなく、プライドを持たずに出来るかの問題になる。

 

 

●宇宙は丸い論。

永遠に続く直線があるとは思えないから、続くものは、どこかで弧を描いてると思うんだ。

 

 

●自然なことが自然に起きる。それが世の中。

 

 

●自己のコントロール力が、他人から見た「力」、「強い」に直結すること。

 

 

●音楽は、メロディーに乗って表現されている歌詞の世界を楽しんでいること。

 

 

●前職を抜け出せないまま後職に入っても、経験を活かすことは出来ないし、そうしてると言わない。つまり、スタートラインに立ててないのなら、どのような実績も残せないということとなる。一度、前職から離れてこそ、その後、後職でその才能を活かせれるのであるから。

 

 

●親切とやさしさの違いは、親切は、相手に興味がなくても必要性を感じ取れば誰にでも出来ることで、やさしさは、一つの才能、技能のようなもので、相手に興味がないと出来ないこと。まったく別のものということ。

 

 

●神がいるかいないかは、結論から言うと、断定は出来ないだけで、いないと推測するのが、現代科学の結論だろうと思う。断定をしないし、出来ないのは、とても重要なことである。

 

 

●特権は、才能ではないし、実績は、才能についてくるものだから。

 

 

●仕事というのは、出来ることで社会に貢献することで、それがしたいことに結果的に直結するもの。それが使命となること。

 

 

●心理学や、哲学などのジャンルは、自分(人)の中にあるのではなく、自分(人)がジャンルの中にある。現代人にはもう作れない。

 

 

●現代人は創造力を失ってる。でも想像力がある。

 

 

●失敗は、当然、実績にはならない。問題を起こさなくても、結果として何も残せなければ、務めたことにならない。

 

 

●一生に一回と言える強すぎる程の思いは、「形」を生むことがある。それが、「死ぬ直前」によるものであったり、普通に暮らしてる中に起きた出来事であったりする場合もある。要するに火事場のバカ力のことになる。不思議なこともある。

 

 

●完成させた人が初めてやった人になる。

 

 

ビートルズは力と愛を結び付けた。力の愛を打ち出したのが、ビートルズの功績となる。

 

 

●人間は、人は騙せても自分は騙せない。それは、「声色」に表れるんだ。

 

 

●音質は、音楽ではなく、その良さが分かることは、徳があるということになる。音質は楽しむことは出来ない。

 

 

●コンセプトがない会見は謝罪会見となる。コンセプトがないということは、目的は、目立つ目的しかない。

 

 

 

 

企画説明

 

趣旨 物事の本質を解明する目的ではなくて、エンターテイメントとしての需要があり、そこが狙いであり目的。

理解が目的ではなく、日常生活を楽しくする目的があり、そのような効果、良点を持つ。この楽しさは、「発想のおもしろさ」に直結する。

ターミナルケアにおいての介護士の包括的な役割

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ターミナルケアは、正しく、受容の時期へと入ることが出来るように、抑うつの時期を確実に、クリア出来るかで、決まる、決すると言っていい。

生きる意欲、生活する気力が、低下して(消失しかけて)、(日常生活を)生活しにくくなる。それにより、抑うつ状態になる。これは、一つとして、自分の価値を失うことでの、アイデンティティのためのウツもどきによるものと言える。この症状は、必ず、原因が存在する。すなわち、原因を見つけ、解消する。自分の、性格、特性などを含む概念としての価値を見つけて、再確認することで、問題が解消され、(日常生活を)生活しやすくなる。それには、臨床心理士のカウンセリングではなく、自分で、解決することをする心理学的技術の必要性を示す。

存在の根のところで自分を受け入れアイデンティファイ(確認する)していないと、確実な「死」という人間の最後の通過点を受け入れなければいけなくなった時、必ず、人間のアイデンティティはゆらぐのである。そのためには、自分のアイデンティティの再確認、再認識が不可欠となる。

アイデンティティは、人それぞれ人の数だけ個性があり、自分で再認識することは、容易ではない。だが、ターミナルケアにおいて、ケアチームに臨床心理士を招いて、チームアプローチを依頼するのは、終末期ケアという、本人や、ケアのスタイル上、厳しいものである。なおって、元の場所に戻って、社会でまた生活をしていくために受けるのが、カウンセリングなのであり、終末期ケアの患者(利用者)は、戻る生活そのものがないのである。そこで、臨床心理士の代わりとして、白羽の矢が立つのが、介護士である。介護士には、身体介護、生活援助の他に、相談、助言という役割がある。この助言という枠の中でこのことがおぎなえると僕は考える。その、自分で、抑うつの状態を正しくクリアするための(心理学的)技術、システムの提供、つまり、助言として、患者(利用者)にアプローチする。それを患者(利用者)自身が、自身で対策を行い、自身で問題を解決する。そして、正しく、受容(最後の休息)の段階へと進むことが可能になるのである。

このような手法で、ターミナルケアで、受容(最後の休息)につながる、抑うつ(無力感)の時期を支える。それが、従来の、生きるための希望につながる、身体介護、生活援助に加えて、ターミナルケアにおいての、介護職員に求められる役割である。この技術提供で、これがあれば、大丈夫と、患者(利用者)が感じとることが必要なのである。

他に、相談という介護職員の役割もある。これは、患者(利用者)の話を聴くことが主、ベースになることである。ただ、傾聴し、共感的応答をするだけでは、終末期ケアにおいての介護職員の役割は、果たせない。

本来、介護職員に、一番身近な存在として、介護においての利用者は、信頼を寄せるのであるから、介護職員は、それを自覚し、その役割を果たせれるような働きを利用者にしていくべきである。終末期ケアの場合は、傾聴するだけでは、利用者は、聴いてくれてると心からの満足をしない。どこかで、割り切って、こんなものだろうと納得をする。ターミナルケアにおいて、共感的理解において、利用者に安心を与えるには、哲学的センスがある必要があるということであると思う。ちゃんと、哲学というセンスの本質を掴んでいる人が介護をすることで、利用者は、その人に安心を感じとれるのだと思う。哲学には、人を安心させる部分がある。

利用者は、無意識に介護職員に相談をし、確実に聴いてもらえたと理解することで、「今の自分」という「答え」を見つけているのである。そのためには、聴く側の介護職員に哲学的なセンスがあれば、コミュニケーションを通じて、その哲学的センスからの応答として、自分の姿に重ねれるということである。それにより、無意識に、哲学的解釈で自分を受け入れることが出来るのである。

相談は、やさしさではない。やさしさのセンスである。哲学的センスは、人それぞれであることから、介護職員、それぞれの哲学的センスで利用者を介護すればいいということである。

身体介護、生活援助。助言。相談。この三つが、介護士の仕事であり、これまでに説明したこれらの解釈からの援助行為は、介護士しか成しえないことだと言える。では、技術について説明していく。1から4までの手順があり、この手順をくんで、自分のアイデンティティを分析し、何を自身に助言するかを探求していく。

1

仕事、家庭、恋愛、性格、特性などを照らし合わせて、今抱えている問題のテーマを見つけて(一つとは限らない)、そこから今の問題を持っている環境を、つまり、自分に対しての疑問文を割り出す。

2

なりたい(自分の)状況をイメージ分析する。

3

(自分の)アイデンティティを発見する。自分の人生って何だったんだろう、自分はいったい誰なのかという、自分ということの概念としての価値観。

4

それを再確認、再認識出来るような助言を自分にする。

以上である。

自分の人生に関するアイデンティティが定まらないことのウツもどき症状を改善、解決する心理学的技術。こういう技術があるということを紹介すること(表現ではない)をする。患者(利用者)は、これがあれば、大丈夫と思う。後は、利用者自身がその技術を利用し、習得し、抑うつの時期を一番ベストに解決する。

これまでのケアは、全人的苦痛の中の精神的苦痛のケアである。上記に紹介したこれらのケアをし、介護士が役割を果たすことで、より正しく、利用者は、受容の時期に入ることが出来、社会的苦痛のケア、QOLを重視した、物理的な行動などによる「整理」が行われる時期を過ごしていくこととなる。

まとめると、結果的、ケアには、二つのポイントがある。

抑うつの時期までに、ある程度、正しいケアを受けれれば、抑うつの時期に入ることが出来る。でも、ある程度ではだめであり、ちゃんとしたケアを受けることが前提である必要がある。これが、一つのポイント。正しい過程で抑うつの時期に入れても、正しい過程で抑うつの時期をクリアしないと、受容の時期に入った時に、完全に定着出来ない。つまり、受容の時期を正しく経験出来ないのである。抑うつの状態に陥るプロセスと、改善するプロセスは同じではなく、さまざまな意味で、単純に見えて、複雑に成り立っている。ようするに、正しく、抑うつの時期をクリアすることが大きく重要視されることになるということ。そのための、介護職員による、心理学的技術の提供(助言)であり、センスを必要な傾聴(相談)であるということ。正しい過程で受容の時期に入れないことで、しっくりと定着出来ないことで、過程の中を、さまよい、過程を行ったり来たりする。つまり、どこかにある問題を自分で探すということになる。このようなことが、二つ目の、一番大きなポイントになる。

ターミナルケアにおいての、患者の、死の需要過程は、個別性が高く、複数の段階が同時に起こったり、行きつ戻りつしながら、時間をかけて死の受容に至るとされている。すべての段階を通るとは限らず、順番もバラバラである場合もある。受容に至らないまま亡くなる人もいる。が、死が確実な、患者にとって、受容の時期を正しく確実に経験をし、人生を明確に整理することは、この場合の一番ベストなゴールであり、そのタイプの患者においての、最後の人生における休息になるのであることから、ターミナルケアにおいて、このことは、「必須事項」と言えるのである。

人生の最後に(人生の)整理という時期を確実に経験出来るかが、終末期ケアのすべてであり、本質と言える。そのために、患者(利用者)が、それに繋がる過程を正しくつとめて、ベストにクリアしていくことが必要であるということ。

「死ぬための整頓は、生きるためにすること」。つまり、自分の暮らし方を自分で決めて、自分でできることは、自分でするための生活をするための援助。つまり、自立支援である。助言による心理学的技術の紹介。(自己カウンセリング)*相談によっての哲学的観念による自身の人生観の飽和。(介護職員に安心を感じ取る選択力)どちらも、出来ることは自分でする。自分のことは自分で決めるという自立支援の概念にかなっているのである。

 

最後に

植木理恵氏の本を参考にしました。植木氏によると、アイデンティティが定まらないことからくるウツ症状があり、このタイプのウツもどきは、自分自身が何者かということにふと気がついたり、仕事や家庭における自信を何らかの形で得たりすると、一気に元気になったりするということ。そして、アイデンティティがスポンと収まる場所というのは、往々として、言葉にしづらいものであることが多く、「何となく落ち着くな」とか「違和感がないな」と感じる場所でアイデンティティは自然と根付いていくもので、何かを強く求めて自分を築こうというのではなく、「何となく」という、‘‘ふわっ,,とした感覚で自分をとらえていることのほうが大切だということを書いている。哲学の本質をつかむためには、川上未映子の短編集、「ウィステリアと三人の女たち」を推奨します。

*これによって、これから先に関しての、覚悟のような踏ん切りがつく。

プログレッシブ・アート

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プログレッシブ・アート(・ミュージック)。10グループいる。それを紹介する。すべてに共通するのは、安全な魔界の世界という部分である。

 

 

〇TvSky

見える秩序 

星空 列車の旅 海の鑑賞 

ロマンである。

 

〇Martin Nonstatic

自然という概念 (我々の)科学でもない、宗教でもない物事の捉え方というものを表現している。

 

〇Tor

見えない秩序(概念)

時間

 

〇Giriu Dvasios

そこにある地上で起きたすべての歴史、現在までの繋がり。

開拓的 宗教的 民族的 建築的 芸術的 才能的

オタクっぽい

 

〇CARBON BASED LIFEFORMS

始めることすら出来なかった「無才感」。

(戦いに代わる)(新しい)秩序。

 

〇Hidden orchestra

世界そのものとしての秩序 REAL

 

〇SEN

マンガのような、プログレッシブ・アート・ミュージック。他のアーテイストのよりどり。観念を表現してる。ロマンス。「宇宙船地球号。地上にいながら宇宙を感じる。」

 

〇Dimmat

反対側(前秩序世界)から見た吸い込まれる穴。現秩序世界((安全な)魔界)からは分からない(見えない)。

 

shpongle

愛の才能 これが(愛の)才能だ

 

〇Martins Garden

(安全な)魔界で生きていくための姿勢

 

〇StereoMantra

 

 

●これらのアーティストのMVは、動く絵画だと捉えていい。ライブは、絵画の中に入り込んだ状況と捉えられると言える。なお、アート・ネオ(・ミュージック)というジャンルも存在する。

新しい観念の介護サービス制度

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健康診断ならぬ、「暮らし診断」。

結論から説明すると、介護技術を用いて、アンチエイジングを行うサービス診断制度である。

 

 

老化しても、今までの暮らしを長く暮らせるようにするために設立。

介護が必要にならずに暮らせる状態を、出来るだけ長くキープ出来るようにするための制度。

 

 

介護技術の視点から、生活の習慣や環境を、新たに整えたりするアドバイスをする。(アドバイスのみ。それにともなった住宅の工事などはしない。)特に、ノーマライゼーションの実現を目的とし、ICFの考え方に基づいた支援を行うのが特徴になる。

 

 

介護保険は、困ってから困ったことに対応。

困る前に、困らないような暮らしを出来るだけ維持、キープするための制度。

(健康診断は、病気にならない状態を出来るだけ長くキープするためのもの。)

介護保険は、何かあった、問題が起きた次のステージでの対応であり、暮らし診断は、その前の、まったく健康な状態のキープが目的にある。

 

 

本人、もしくは、家族が要請することが出来る。

*健康診断と同じような、ワードとしての人々の認知度にする。

 

 

アンチエイジングの一つ。

 

 

このようなことは、医療技術では実現できない。介護技術での実現が望ましい。つまり、人間ドックや、抗加齢ドックではない手法。高齢者向けだからこそ成り立つ技術制度である。つまり、介護サービス版のアンチエイジングドックである。介護サービスの視点からのアドバイスであると、医学的な視点から以上に、分かりやすく、(利用者にとって)適切な認識に出来やすく、生活に活かしやすいと思う。

 

 

個別ケアとしての、一人一人の生活スタイルに合った診断結果を提示出来る。医療分野以外での、ケアマネージャーを中心とした多職種によるケアチームでの診断になる。特に、介護士のさまざまなデータは大いに役に立つ。目標とする状態は、ADLをキープしながら、IADLを確実に遂行出来ること。それによって、機能障害を未然に防ぎ、社会への参加が問題なく行える。そのための、環境因子や、個人因子というベースを整える。その上で、これまで暮らしている通りの健康状態を維持、キープ出来るというメカニズム。それが、介護サービスの仕事であり、この、暮らし診断の内容である。ICFでの合理的な考え方からで成り立っている。

 

 

ケアマネージャーによる、診断材料としてのデータをとるアセスメントが基礎となる。一人一人において、どのようなハザードやリスクがあるのかの分析も必要になるし、ハインリッヒの法則に基づいて、三層においての事故が起きる可能性も探っていく必要を持つ。利用者が持っている最大のストレングスが何かを発見し、それを活かすことを勧めるのは言うまでもない。アセスメントする側の介護支援専門員には、傾聴と洞察が必須となる。それが介護サービスの良点である。

 

 

このサービス診断制度をアピールする上でのスローガンとしては、「今までしてきた生活の質を維持することを譲れない。今まで暮らしてきた生活の質を落とすことを許せない。」内容的には、正しいわがままで、正当な自分への要求になる。つまり、わがままを形にする介護サービス制度となること。現段階では、「わがまま」だが、この制度が社会全体に普及した後は、持っていて当然の主体性を重んじた権利という認知となると思う。

 

 

つまり、介護予防の技術サービスを、老化予防に使うということ。

 

 

 

*解説

●客観的まとめ

 

分かりやすく説明すると

老化予防→直接的な対応 医療 アンチエイジングドック

介護技術で老化予防→直接的な対応 介護 介護予防

老化予防を介護技術で行う→直接的な対応 介護 暮らし診断

 

 

暮らし診断と、介護予防との分かりやすい違いは、老化することによって、長い間、今まで生きてきた考え方を、シフトする必要性があり、つまり、一つの判断として、「あきらめなければならない」のに対して、暮らしの物理的な維持だけでなく、自らの今までの人生に対する考え方も、まったく変えずに、維持するということを目的に含んでいるということ。これが、違いである部分である。老化を遅らせるのではなく、健康な状態を維持するという概念での「老化予防介護」となる。老化が進んで、介護予防をしないといけない年齢で、状態だが、それが老人っぽくて、若さを捨てるみたいで嫌だ、抵抗が大きく存在するという人達に適した介護サービスである。