SENSE OF DISTORTION~介護士のブログ~

介護士編の、男性版のジャンヌ・ダルクです。 普通の介護士と違うところは、救世主介護士であるというところです。 僕が、軸となり、介護士を盛り上げ、ムードを作り、現場の介護士が活躍することの、原動力になる。

「老化」と、いわゆる「心の老化」は、別物であり、普遍因子がその要因。

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老化とは、身体機能のことを指すのであり、つまり、心の老化というのは存在していなく、何らかの思考の切り替え、転換が、原因であると考える。つまり、僕は、「老化」と、いわゆる「心の老化」は、別ものととらえるべきと思う。ここから、その「心の老化」の原因を示し、その対処策を紹介する。

 

健康診断ならぬ、「暮らし診断」。

結論から説明すると、介護技術を用いて、アンチエイジングを行うサービス診断制度である。

 

老化しても、今までの暮らしを長く暮らせるようにするために設立。

介護が必要にならずに暮らせる状態を、出来るだけ長くキープ出来るようにするための制度。

 

介護技術の視点から、生活の習慣や環境を、新たに整えたりするアドバイスをする。(アドバイスのみ。それにともなった住宅の工事などはしない。)特に、ノーマライゼーションの実現を目的とし、ICFの考え方に基づいた支援を行うのが特徴になる。

 

介護保険は、困ってから困ったことに対応。

困る前に、困らないような暮らしを出来るだけ維持、キープするための制度。

(健康診断は、病気にならない状態を出来るだけ長くキープするためのもの。)

介護保険は、何かあった、問題が起きた次のステージでの対応であり、暮らし診断は、その前の、まったく健康な状態のキープが目的にある。

 

本人、もしくは、家族が要請することが出来る。

*健康診断と同じような、ワードとしての人々の認知度にする。

 

アンチエイジングの一つ。

 

このようなことは、医療技術では実現できない。介護技術での実現が望ましい。つまり、人間ドックや、抗加齢ドックではない手法。高齢者向けだからこそ成り立つ技術制度である。つまり、介護サービス版のアンチエイジングドッグである。介護サービスの視点からのアドバイスであると、医学的な視点から以上に、分かりやすく、(利用者にとって)適切な認識に出来やすく、生活に活かしやすいと思う。

 

個別ケアとしての、一人一人の生活スタイルに合った診断結果を提示出来る。医療分野以外での、ケアマネージャーを中心とした多職種によるケアチームでの診断になる。特に、介護士のさまざまなデータは大いに役に立つ。目標とする状態は、ADLをキープしながら、IADLを確実に遂行出来ること。それによって、機能障害を未然に防ぎ、社会への参加が問題なく行える。そのための、環境因子や、個人因子というベースを整える。その上で、これまで暮らしている通りの健康状態を維持、キープ出来るというメカニズム。それが、介護サービスの仕事であり、この、暮らし診断の内容である。ICFでの合理的な考え方からで成り立っている。

 

ケアマネージャーによる、診断材料としてのデータをとるアセスメントが基礎となる。一人一人において、どのようなハザードやリスクがあるのかの分析も必要になるし、ハインリッヒの法則に基づいて、三層においての事故が起きる可能性も探っていく必要を持つ。利用者が持っている最大のストレングスが何かを発見し、それを活かすことを勧めるのは言うまでもない。アセスメントする側の介護支援専門員には、傾聴と洞察が必須となる。それが介護サービスの良点である。

 

このサービス診断制度をアピールする上でのスローガンとしては、「今までしてきた生活の質を維持することを譲れない。今まで暮らしてきた生活の質を落とすことを許せない。」内容的には、正しいわがままで、正当な自分への要求になる。つまり、わがままを形にする介護サービス制度となること。現段階では、「わがまま」だが、この制度が社会全体に普及した後は、持っていて当然の主体性を重んじた権利という認知となると思う。

 

つまり、介護予防の技術サービスを、老化予防に使うということ。介護技術で老化予防をするのではなく、老化予防を介護技術で行うということ。

 

「暮らし診断」と、介護予防との分かりやすい違いは、老化することによって、長い間、今まで生きてきた考え方を、シフトする必要性があり、つまり、一つの判断として、「あきらめなければならない」のに対して、暮らしの物理的な維持だけでなく、自らの今までの人生に対する考え方も、まったく変えずに、維持するということを目的に含んでいるということ。これが、違いである部分である。老化を遅らせるのではなく、健康な状態を維持するという概念での「老化予防介護」となる。老化が進んで、介護予防をしないといけない年齢で、状態だが、それが老人っぽくて、若さを捨てるみたいで嫌だ、違和感が大きく存在するという人に適した介護サービスでもある。

 

ライチャードによる高齢者の人格の分類は、円熟型、安楽椅子型、装甲型、自責型、憤慨型の5つとされているが、僕は、どの型でもない、いわば、自然形という概念が存在すると思う。何故なら、高齢者とは、ただ、年を重ねただけの若者であり、あえて、そう分類する必要性はなく、分類する意味も皆無に等しいということ。考え方が何も変わらない、安全性を重んじた、老化にともなった暮らしだけを変化させる、その対応性が重視されるということ。つまり、老化し、自然に年を重ねた暮らしの形が求められるということとなる。高齢者という用語は、人間の人格に関するハラスメントであるということに気づく必要があり、まずそこから始めることが大切である。

 

介護が必要になった時期が来ても、高齢者という立場ではなく、どこにでもいる一人の自立した人間として、アンチエイジング(暮らし診断)の延長線上として人の力を借りるということを、介護と位置づけるという価値観を持って、介護サービスの提供を受けることが実現出来る。介護とアンチエイジング(暮らし診断)の概念は、老化に伴った補助、(出来ることの)後押しが目的にあり、受ける時期が違うことの介護技術のサービス制度であるということ。

 

自立支援が行われる過程での利用者の滞留は、三時期に分かれる。一時期目は、出来ることが少ない時期。この時期の介護職員による介助は、出来ないことの援助(支え)になる。二時期目は、出来ることが多い時期。このような時期の介助は、出来ることの補助(後押し)となる。そして、三時期目は、高低(数値)の概念がない状況のスパンである。このスパンの介助とは、バックアップ(後ろだてとなること。援助してもりたてること)である。このスパンとは、すべてのことが出来ることによって、理屈的に、健常者と同じと言える状態の時期を指す。マズローの欲求五段階説の、自己実現の欲求を完全に満たしている状態になる。この事実は、概念が変わることを示す。承認の欲求までと、自己実現の欲求との壁を、完全に超えることが、自立支援においての最終的な課題となる。

 

これは、障害者支援だけではなく、介護においても同じことがあてはまると言える。

 

人間の老化は自然現象である。が、精神の老化は、エンパワーメントの視点が必要となり、さまざまな、高齢者と言われる人に対してのハラスメントが関係していると考える。それらを全部取り除けば、精神の老化を最小限に留めれると考える。人間は、生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、自立した戦士であり、戦士の誇りを誰も失いたくないものである。その戦士の誇りは、人生を生きるということの基礎(土台)であると言え、つまり、誇りを途中で失う、または、奪われた人間は、生きるということに臆病に接するようになる。つまり、ガード意識を持って暮らすということである。いずれ死ぬことは、確実な事実であることから、構える必要はまったくないのであり、それに怯えて暮らすなんてばかげていると言える。戦士の誇りが維持されることで、生活のすべてが建設的に成立するのである。ICFの背景因子に、環境因子、個人因子の他に、普遍因子という概念が必要になる。それが、戦士の誇りを指す。それに伴った、健康状態へとつながるというICFの仕組みになる。この普遍因子が完全に起動するためのアドボカシ―が必要となるのである。「高齢者」という軍旗を立てるのを辞めてしまうその福祉改革が求められると考える。そのための「暮らし診断」という介護サービス制度の実行性なのである。つまり、精神の老化を最小限に留めれば、介護が必要な利用者であっても、自立支援の援助を受け、福祉の力を借りて、最終的な目標の段階に達することで、理屈的に、生まれてからずっとしてきた生活と同じと言える生活が送れることが、理論上可能であると言えるということである。

 

いわゆる、ハラスメントと呼ぶことは、人間社会が持つ秩序が原因で生じる事象であり、言い換えると、天然犯罪と呼ぶことが出来ることである。あえて名前をつける意味はあまりなく、そういうものは、太古から人間社会にあったものであると考えられる。高齢者と言われる人に対してのハラスメント、人間の人格に関するハラスメントは、パワハラやセクハラなどの、人間社会があるから生まれるハラスメントではなく、人間社会がそうだからこそ生まれてしまうという、当事者主体のハラスメントであるということ。だからこそ、改革が可能であり、価値観を転換することで問題解決が出来るということになる。

 

自立支援は、健常者、もしくは、ずっとしてきた暮らし、つまり、何も問題がない状況の心身の、福祉を使った再現、維持が目的であり、したがって、根底にあるのは、「自分で何かをすること」という概念の援助の反復である。