SENSE OF BLUE DISTORTION

「介護」のテーマである話

これからの世界について

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●平和

戦後から75年経って、平和への意識が高まる中での、その結果自体が、形として影も姿も出ていないことを、一つの結論として受け入れて、その上で、今、これから何をすべきなのかを考えなければならない時期に来てる。

核のない世界というのが、我々には無理な課題だったというのを受け入れるべきなのかもしれないということ。

じゃあ、今の自分達は自分達自身に対して何が出来るのか、何をすべきなのかということを導き出す用意、準備が必要。

―自分達のあふれるばかりの未熟さを痛感してそれに浸り癒される―それは敗北ではない。一つの勝利に近い、選択という、決勝点になるゴールだ。

確かに、意識は向上した。だが、その成果として、目に見えるもの、ことが何もないというのは、核兵器放棄の努力過程が、無駄ではないが、そもそも意味を持たないということではないのかと思うのである。つまり、人間は、意味のないことに、価値を見出して、意義を持って取り組んだのではないかということ。なら、する選択は、一つしかない。「逃げ出すこと」。それが、科学的にも、心理的にも、的確なアクションであり、明確な、決断による行動だと思う。

すべての核兵器を、まとめてどこかのスペースにつめこんで、放置、遺棄し、置き去りにして暮らしていく人間社会も悪くない。プロセスは何にしろ、そういう世界平和もあるということかもしれない。

遺棄した後の後始末に関しては、遺棄をセルフバックアップする形で対処すればいい。現段階の核の管理システムを目的を変えて、当てはまればいいということになる。

つまり、使用する目的で、核兵器を管理することを辞める。使用がある目的で管理し、コントロールすることの中で使用するのだから、使用する目的で管理をする者がいないということは、世の中に存在していても、その、核による脅威は、ゼロである。万全な処置の目的である管理は、必要ということである。

つまり、核放棄ではなく、核遺棄による平和社会の実現になるということである。

核兵器を、人類の手に負えないという動機から、核のその問題自体から逃げ出して、遺棄してしまうという行動パターンで、世界平和を構築するという前代未聞の考え方があるということ。「核兵器に人類が見限られることが世界平和と言える」という斬新なケースになる。

●社会

先に述べておく。今、現在は、アナログが残っているITの時代ではない。そう多くの人が感じているだろうが、アナログが古いという価値観は、錯覚というべきである。正しく述べると、今、現在は、ITの時代に入りつつあるアナログの時代であるということである。つまり、それが何を意味するのかと述べると、すべてのIT的なものは、アナログの基礎の上に成り立っているということ。例えを一つ出すと、ネットで買った商品を届けるのは、「車」であるということ。そして、それを運転するのは、「人」であるということである。どんなに時代が動こうとしていても、そこのベースは、秩序として、存在しているから成り立つ世界だということである。つまり、ITは、まだ、実験的なものに過ぎず、社会の秩序は、アナログなのである。

ITが、主流となる世界になるという事実は、誤作動という、ITとは切り離せない問題が、完全に解決したことを意味する。誤作動が、100%起こらないという科学的実証が、必要となるということである。

今、もし、アナログ的なものがなくなっていく傾向が起きたとしたら、すべての文明を、人類が、失う危険性が発生していると言えることとなる。(需要があれば、なくなっていってるとは言わない。量の問題である。ある、ないの問題ではない。需要を求めなくなることが、致命的な大問題なのである。)実験段階のものは、主流にはなれないからである。アナログはいらないという価値観は、そういう危険を誘発することと隣り合わせの考え方である。

では、もし、安全が完全に保証され、完全なIT時代に入ったら、どのような世界になるのか。説明すると、そうなった途端に、アナログは、まったく新しい価値観のものになる。秩序が変わったことで、「別の秩序という新しさ」のブランドになる。理由は、秩序に新しいも古いもないということからである。これにより、アーティストは、楽にたくさんお金を稼げる、収入重視で音楽をするタイプと、収益が少ない、芸術性重視のタイプに分かれると言えると思う。つまり、アナログとITの関係性は、太陽がITで、月がアナログ。要するに、リーダー的で、絶対に、不可欠なITと、特に不可欠ではなく、女性的、母性的な、観賞的な娯楽性を持つ、アナログということと言える。

このように、ITとアナログは、太陽と月のような関係性で、バランスをとりながら成り立っていくと言える。つまり、「秩序が、二つ点在する」、多様性に富む、SFのような人間世界になると言えるということである。

IT技術が、促進するということは、人間が、自分自身の使命から逃げ出すということが必須ということにあると言える。逃げ出すことで、秩序が、正しく移行されるのである。逆に言えば、逃げ出すことが、いかにも人間らしく、人間らしい未来こそが、IT技術が進んだ世界ということになるのである。楽を実現にすること自体が、逃げなのであり、IT技術が進んだ世界というのは、決して、誇りではない。「らしさ」なのであり、「成果」ではない。

人類が、自分自身の使命から逃げ出すことで成立していく社会は、これから暮らしていく、自分自身から逃げ出したことでの墓場島へと続く過程の途中の、人間がいる居場所となる。

●資本主義と民主主義の弱体化

これからの資本主義と民主主義は、弱体化し福祉化すると言っていい。

資本主義は、協力化する。つまり、競争しやすいなようなシステムが導入される。民主主義は、安全化する。現在は、期待出来る人物を選ぶのが、選挙での人を選ぶ基準だが、安全さ、安全にやってくれるだろうという人物が、その基準になる。そのために、選挙期間を一年ぐらいに伸ばす。そうなることで、向いていない人物や、怖ろしい考えの人物は、ボロを出したりして、判別出来る。選ぶ人物が浮いて出ることになり、誰でも簡単に選ぶべき人物を特定出来るということになる。

●方向性

インクルーション教育が発達に欠けているのは、想像する、イメージだけで解決出来るとしているという部分である。物理的に言うと、いかに人間が、濃い想像力を活かせれる存在だとしても、性格、つまり、DNA的な部分の問題までもは、想像力では管理出来ないということである。このことが、インクルージョン教育が抱く、大きな壁の要因だったことでもある。

「世界にひとつだけの花」はとてもいい曲だと思う。誰もが思うと思う。しかし、その、この曲のすべてである部分に共感しているのではない。この曲に含まれている思想のような要素に魅かれるのである。

では、何がいいのか、どこに魅力があるのか。それは、インクル―ジョンの考え方を適切なまでに見事に表した所である。だが、インクル―ジョンの考えは、性格が、一人ひとり違うことを前提と置いている。この部分に溝が生まれる、存在しているのである。

性格、つまり、個性を大切にし、特別なものと考えるのではなく、能力に目を向けることが必要なのである。才能や、技術(技)、発想などである。つまり、大きな理想としては、人類70億人全員が、何らかの、それぞれの、成立した能力を持ったONLY ONEになったとしたら、それは、つまり、みんながNO.1という事実である。

性格、つまり、個性を重視するのではなく、これらは、後回しとして、能力を優先するという考えが必要である。性格がONLY ONEなのではなく、能力がONLY ONEであるという概念が、これからの社会に必須な、インクルージョンの考え方である。

♪一番になる目的じゃなく 一位を勝ち取るためじゃなく 夢をつかむためだけに みんなの世界 これが輝く理由 一つだけの花が世界をうめる ひとりひとり違う夢を見る NO.1は特別じゃない もともとみんながONLY ONE♪

「世界にひとつだけの花」の歌詞に置き換えると、こうとなる。

 つまり、今の人間は、まずどのような人間か、そして、その次にどのようなことが出来る人か。この順に人をとらえる。これからの社会では、まず能力、そして性格というような順に人をとらえる。そのような秩序の社会に発展すれば、目指す所は、全員がNO.1で、つまり全員がONLY ONEの人間世界、となるのである。