SENSE OF BLUE DISTORTION

介護士として活躍していきたいつもりです

ターミナルケア。介護保険。

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終末期ケアは、現在、医療の分野として確立しています。しかし、僕は、終末期ケアは、介護の分野だと考えています。理由は、人生を整理するという行いは、治療(医療的知識)では、解決出来ないからです。(介護保険を使う)利用者の心や生活に寄り添うことが目的の介護士なら、それが解決出来ると思うのです。

人生の整理のためにすることが成立していてこそ、「終末期ケアを扱う」と言えるのであり、そのためには、人生の整理とは何なのか、それが出来るためには、何が必要とされるのかを導き出す必要があるということなのです。

現在の、看護師が主体となって行っている終末期ケアでは、患者、利用者の能力、つまり、「凄い人間」でないと、人生の整理は出来ないということなのです。終末期ケアを受けた人が、全員、人生の整理が出来るには、終末期ケアを行う側の能力でなければ、ならないのです。

僕は、介護を志す人間として、終末期ケアで介護士が何をするべきなのかを考えました。

僕は、終末期ケアは、介護保険で扱うべき分野と考察します。          

ターミナルケアは、正しく、受容の時期へと入ることが出来るように、抑うつの時期を確実に、クリア出来るかで、決まる、決すると言っていい。

生きる意欲、生活する気力が、低下して(消失しかけて)、(日常生活を)生活しにくくなる。それにより、抑うつ状態になる。これは、一つとして、自分の価値を失うことでの、アイデンティティのためのウツもどきによるものと言える。この症状は、必ず、原因が存在する。すなわち、原因を見つけ、解消する。自分の、性格、特性などを含む概念としての価値を見つけて、再確認することで、問題が解消され、(日常生活を)生活しやすくなる。それには、臨床心理士のカウンセリングではなく、自分で、解決することをする心理学的技術の必要性を示す。

存在の根のところで自分を受け入れアイデンティファイ(確認する)していないと、確実な「死」という人間の最後の通過点を受け入れなければいけなくなった時、必ず、人間のアイデンティティはゆらぐのである。そのためには、自分のアイデンティティの再確認、再認識が不可欠となる。

アイデンティティは、人それぞれ人の数だけ個性があり、自分で再認識することは、容易ではない。だが、ターミナルケアにおいて、ケアチームに臨床心理士を招いて、チームアプローチを依頼するのは、終末期ケアという、本人や、ケアのスタイル上、厳しいものである。なおって、元の場所に戻って、社会でまた生活をしていくために受けるのが、カウンセリングなのであり、終末期ケアの患者(利用者)は、戻る生活そのものがないのである。そこで、臨床心理士の代わりとして、白羽の矢が立つのが、介護士である。介護士には、身体介護、生活援助の他に、相談、助言という役割がある。この助言という枠の中でこのことがおぎなえると僕は考える。その、自分で、抑うつの状態を正しくクリアするための(心理学的)技術、システムの提供、つまり、助言として、患者(利用者)にアプローチする。それを患者(利用者)自身が、自身で対策を行い、自身で問題を解決する。そして、正しく、受容(最後の休息)の段階へと進むことが可能になるのである。

このような手法で、ターミナルケアで、受容(最後の休息)につながる、抑うつ(無力感)の時期を支える。それが、従来の、生きるための希望につながる、身体介護、生活援助に加えて、ターミナルケアにおいての、介護職員に求められる役割である。この技術提供で、これがあれば、大丈夫と、患者(利用者)が感じとることが必要なのである。

他に、相談という介護職員の役割もある。これは、患者(利用者)の話を聴くことが主、ベースになることである。ただ、傾聴し、共感的応答をするだけでは、終末期ケアにおいての介護職員の役割は、果たせない。

本来、介護職員に、一番身近な存在として、介護においての利用者は、信頼を寄せるのであるから、介護職員は、それを自覚し、その役割を果たせれるような働きを利用者にしていくべきである。終末期ケアの場合は、傾聴するだけでは、利用者は、聴いてくれてると心からの満足をしない。どこかで、割り切って、こんなものだろうと納得をする。ターミナルケアにおいて、共感的理解において、利用者に安心を与えるには、哲学的センスがある必要があるということであると思う。ちゃんと、哲学というセンスの本質を掴んでいる人が介護をすることで、利用者は、その人に安心を感じとれるのだと思う。哲学には、人を安心させる部分がある。

利用者は、無意識に介護職員に相談をし、確実に聴いてもらえたと理解することで、「今の自分」という「答え」を見つけているのである。そのためには、聴く側の介護職員に哲学的なセンスがあれば、コミュニケーションを通じて、その哲学的センスからの応答として、自分の姿に重ねれるということである。それにより、無意識に、哲学的解釈で自分を受け入れることが出来るのである。

相談は、やさしさではない。やさしさのセンスである。哲学的センスは、人それぞれであることから、介護職員、それぞれの哲学的センスで利用者を介護すればいいということである。

身体介護、生活援助。助言。相談。この三つが、介護士の仕事であり、これまでに説明したこれらの解釈からの援助行為は、介護士しか成しえないことだと言える。では、技術について説明していく。1から4までの手順があり、この手順をくんで、自分のアイデンティティを分析し、何を自身に助言するかを探求していく。

1

仕事、家庭、恋愛、性格、特性などを照らし合わせて、今抱えている問題のテーマを見つけて(一つとは限らない)、そこから今の問題を持っている環境を、つまり、自分に対しての疑問文を割り出す。

2

なりたい(自分の)状況をイメージ分析する。

3

(自分の)アイデンティティを発見する。自分の人生って何だったんだろう、自分はいったい誰なのかという、自分ということの概念としての価値観。

4

それを再確認、再認識出来るような助言を自分にする。

以上である。

自分の人生に関するアイデンティティが定まらないことのウツもどき症状を改善、解決する心理学的技術。こういう技術があるということを紹介すること(表現ではない)をする。患者(利用者)は、これがあれば、大丈夫と思う。後は、利用者自身がその技術を利用し、習得し、抑うつの時期を一番ベストに解決する。

これまでのケアは、全人的苦痛の中の精神的苦痛のケアである。上記に紹介したこれらのケアをし、介護士が役割を果たすことで、より正しく、利用者は、受容の時期に入ることが出来、社会的苦痛のケア、QOLを重視した、物理的な行動などによる「整理」が行われる時期を過ごしていくこととなる。

まとめると、結果的、ケアには、二つのポイントがある。

抑うつの時期までに、ある程度、正しいケアを受けれれば、抑うつの時期に入ることが出来る。でも、ある程度ではだめであり、ちゃんとしたケアを受けることが前提である必要がある。これが、一つのポイント。正しい過程で抑うつの時期に入れても、正しい過程で抑うつの時期をクリアしないと、受容の時期に入った時に、完全に定着出来ない。つまり、受容の時期を正しく経験出来ないのである。抑うつの状態に陥るプロセスと、改善するプロセスは同じではなく、さまざまな意味で、単純に見えて、複雑に成り立っている。ようするに、正しく、抑うつの時期をクリアすることが大きく重要視されることになるということ。そのための、介護職員による、心理学的技術の提供(助言)であり、センスを必要な傾聴(相談)であるということ。正しい過程で受容の時期に入れないことで、しっくりと定着出来ないことで、過程の中を、さまよい、過程を行ったり来たりする。つまり、どこかにある問題を自分で探すということになる。このようなことが、二つ目の、一番大きなポイントになる。

ターミナルケアにおいての、患者の、死の需要過程は、個別性が高く、複数の段階が同時に起こったり、行きつ戻りつしながら、時間をかけて死の受容に至るとされている。すべての段階を通るとは限らず、順番もバラバラである場合もある。受容に至らないまま亡くなる人もいる。が、死が確実な、患者にとって、受容の時期を正しく確実に経験をし、人生を明確に整理することは、この場合の一番ベストなゴールであり、そのタイプの患者においての、最後の人生における休息になるのであることから、ターミナルケアにおいて、このことは、「必須事項」と言えるのである。

人生の最後に(人生の)整理という時期を確実に経験出来るかが、終末期ケアのすべてであり、本質と言える。そのために、患者(利用者)が、それに繋がる過程を正しくつとめて、ベストにクリアしていくことが必要であるということ。

「死ぬための整頓は、生きるためにすること」。つまり、自分の暮らし方を自分で決めて、自分でできることは、自分でするための生活をするための援助。つまり、自立支援である。助言による心理学的技術の紹介。(自己カウンセリング)*相談によっての哲学的観念による自身の人生観の飽和。(介護職員に安心を感じ取る選択力)どちらも、出来ることは自分でする。自分のことは自分で決めるという自立支援の概念にかなっているのである。

また、終末期とは、治る見込みのない人への時期であり、それは、「自然死」にもあてはまると僕は思う。「良くなる見込みがない」と「治る見込みがない」とは、直接的に死へと進んでいくという意味で、同じものととらえるからである。

 

最後に

植木理恵氏の本を参考にしました。植木氏によると、アイデンティティが定まらないことからくるウツ症状があり、このタイプのウツもどきは、自分自身が何者かということにふと気がついたり、仕事や家庭における自信を何らかの形で得たりすると、一気に元気になったりするということ。そして、アイデンティティがスポンと収まる場所というのは、往々として、言葉にしづらいものであることが多く、「何となく落ち着くな」とか「違和感がないな」と感じる場所でアイデンティティは自然と根付いていくもので、何かを強く求めて自分を築こうというのではなく、「何となく」という、‘‘ふわっ,,とした感覚で自分をとらえていることのほうが大切だということを書いている。哲学の本質をつかむためには、川上未映子の短編集、「ウィステリアと三人の女たち」を推奨します。

*これによって、これから先に関しての、覚悟のような踏ん切りがつく