SENSE OF BLUE DISTORTION

「介護」のテーマである話

介護は、依存である、「自律による依頼」である。改善案。

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【音楽療法の講義/実習/介護サービスの観覧】 2


【音楽療法の講義/体験による学習】 1

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先に書く。これは、年配の人主体の考えである。

現在、介護とは、楽をしたいということの支えとしてある。

人間は、楽をしたいと、もう一つ、しっかりしていたいという、これがつまり自立、この二つが、天秤のようにつりあいながら、人間としての自立精神を維持している。この二つは、どちらも本音であり、本心なのである。

楽をしたいということの方が天秤として高く位置する状態では、人間にとってベストではないが、ありな状態と言える。これは、現在の高齢者と言われている人の姿を指す。これは、高齢者という立場を位置づけることから生まれた概念であり、心底心地いいと思う人はいないし、概念がなければ、必ず、そういう方向には人は、絶対いかない。

つまり、しっかりしていたいという、自立の方が天秤として高く位置してバランスがとれている状態が、人間としてベストな状態なのであり、そのためには、その精神と、その精神を持てることが可能と出来る身体の状態が必要となる。

このベストの状態を介護が必要な時期になっても維持するには、高齢の人が、人や、福祉の力を借りることを、自分自身の自立の一部として、負担なくとらえることが出来る、そのための、福祉を行う側の姿勢の変化が必要となる。

それは、つまり、介護を、老化防止の延長線上として位置づけることにある。アンチエイジングとは、老化して困る事態になることを、前もって防ぐことにある。それは、もちろん、医学療法だけとは限らない。つまり、アンチエイジング=医学なのではなく、アンチエイジングをする手段の一つに、医学療法があるということである。

つまり、説明すると、「前もって防ぐ」という言葉の意味は、どの位置で、どうやってということであり、たいした意味を持たない。老化防止のコンセプトであり重要なのは、「一時的な、老化して困る事態の回避が目的」ということである。

老化して困ることへの対処が、成立し、確立するということが、一時的な、老化して困る事態の回避へと直結する。要するに、幅広く意味を解釈して、アンチエイジングを、老化して困ることへの対処としてとらえてしまえば、老化して困る前に対処することだけではなく、老化して困った後に対処すること(介護)も、同じ、アンチエイジングなのだと言える。

これは、「アンチエイジングの介護療法の概念」というものである。

これにより、楽をしたいということの支えではなく、しっかりしていたいという自立の支えとして、介護を位置づけることが可能となる。

介護が、楽をしたいということの支えである、現在の概念では、本気で、自立していると思う、思える人はいなく、どこかで、助けられてる、つまり、自立できてないと思ってしまうものなのである。だからこそ、しっかりしていたいということの支えとして、介護を位置づけることが必要になるのである。

これまでの、楽をしたいということの支えではなく、自立の支えである、そのための福祉や、さまざまな人の能力を借りることは、さらなる永続的な自立への橋渡しに福祉がなるということである。自立は、人間にとってすべてといっていい程、人間らしく生活する上で不可欠なことである。人の力を借りて、さらなる自立のステージへと進む。そういう時代になっていくべきだということ。

つまり、従来の、しなくていい、しなくていいという、高齢の人に対する向き合い方から、もっとしてよ、もっとしてもいいんだよ、という向き合い方に変化するということである。高齢者と扱う、扱われることは、年配の人たちにとって、確実に大きく、生きるための力を損失してしまう。つまり、楽をしなさいという高齢の人への接し方を改める必要があるということである。楽をしなさいということを受け入れなければならないのは、人間の正しい生き方のルールに背くことになるのである。事実、アンチエイジングと言われれば、嫌な気がしないという年配の人の意見も得られている。

楽をしなさいという姿勢は、年配の人達に向けて、どうしても上から目線となる。威圧的な言い方となってしまう。このような福祉側の姿勢が、楽をしたいということの支えではなく、しっかりしていたいという、自立の支えとして、介護が位置づけられることで変化することで、高齢の人にとって、介護が、自分を消失し、破壊してしまうものではなく、違和感なく、心地いい距離感で受け入れられるものとしてとらえることが出来、そんな福祉がある社会で、今まで通りの暮らしが長期に渡って継続出来る、そのような高齢社会を僕は望む。

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まず、言いたいのは、差別があるのが前提である考え方自体が、差別的思考であり、つまり、エイジズムという単語の存在自体そのものが、高齢者差別を促進する要素となっている。つまり、年配の人主体の考えの言葉ではないということ。

だから、アドボカシーとして書く。

差別がなくなるというのは、言い換えれば、一つの人権を勝ち取るということで、すなわち、改善ではなく、新たな場所への移行ということになる。

つまり、そのために、高齢者と呼ばれる人の立場が、向上する必要があるということ。女性が社会への進出を勝ち取ったように。奴隷制度がなくなったように。高齢者が、人間としての人権を勝ち取ることが必要だということである。

高齢者差別は、人間の人格に対する差別である。「はい、これから、あなたは、死に向かって、死に構えて生きていってください」とそんなことを言われたら、誰だって、精神が衰える。

現在のエイジズムは、高齢者以外の人が主体で生み出したものである。真の高齢者差別をしているのは、この言葉を生み出した当の本人だということ。年配の人達を、ひとくくりにして管理しようとする姿勢こそが、高齢者差別を生み出している原因そのものだということである。

つまり、高齢者への差別の原因は、年配の人達にある訳ではなく、それ以外の人達に存在するということを言いたい。年配の人を高齢者と捉えるからこそ、そのマイナス影響を、年配の人たちは抱えてしまうのである。管理されてると思えば思う程、精神が衰え、意欲が消失し、身体的にも良くない影響が現れるのである。

まずは、高齢者が差別されている原因を作っているのは、それ以外の人達自身であるということに気付いた所から始めてみるのがふさわしいだろう。

差別がなくなるためは、なくそうとするのではなく、あることに疑問を抱くことから始まる。つまり、何故、高齢者差別は生まれるのか、どうしたらなくなるのかではなく、何故、高齢者は、差別されなくてはならないのかということ。

高齢者が差別されないためには、それ以外の人達が、自分達を変える必要がある。

老化をしない人はいない。誰もが年齢を重ねていくのが人間である。高齢者とは、我々自身である。他人事のようにとらえること自体が間違ってる。高齢者の人権とは、人間全体の人権問題である。

つまり、述べたいのは、年配の人達を「高齢者」とし、管理していこうという姿勢が、エイジズムの骨組みにあたるということである。

老化とは、身体機能のことを指すのであり、つまり、心の老化というのは存在していなく、何らかの思考の切り替え、転換が、原因であると考える。つまり、僕は、「老化」と、いわゆる「心の老化」は、別ものととらえるべきと思う。ここから、その「心の老化」の原因を示し、その対処策を紹介する。

健康診断ならぬ、「暮らし診断」。
結論から説明すると、介護技術を用いて、アンチエイジングを行うサービス診断制度である。

老化しても、今までの暮らしを長く暮らせるようにするために設立。
介護が必要にならずに暮らせる状態を、出来るだけ長くキープ出来るようにするための制度。

介護技術の視点から、生活の習慣や環境を、新たに整えたりするアドバイスをする。(アドバイスのみ。それにともなった住宅の工事などはしない。)特に、ノーマライゼーションの実現を目的とし、ICFの考え方に基づいた支援を行うのが特徴になる。

介護保険は、困ってから困ったことに対応。
困る前に、困らないような暮らしを出来るだけ維持、キープするための制度。
(健康診断は、病気にならない状態を出来るだけ長くキープするためのもの。)
介護保険は、何かあった、問題が起きた次のステージでの対応であり、暮らし診断は、その前の、まったく健康な状態のキープが目的にある。

本人、もしくは、家族が要請することが出来る。
*健康診断と同じような、ワードとしての人々の認知度にする。

アンチエイジングの一つ。

このようなことは、医療技術では実現できない。介護技術での実現が望ましい。つまり、人間ドックや、抗加齢ドックではない手法。高齢者向けだからこそ成り立つ技術制度である。つまり、介護サービス版のアンチエイジングドッグである。介護サービスの視点からのアドバイスであると、医学的な視点から以上に、分かりやすく、(利用者にとって)適切な認識に出来やすく、生活に活かしやすいと思う。

個別ケアとしての、一人一人の生活スタイルに合った診断結果を提示出来る。医療分野以外での、ケアマネージャーを中心とした多職種によるケアチームでの診断になる。特に、介護士のさまざまなデータは大いに役に立つ。目標とする状態は、ADLをキープしながら、IADLを確実に遂行出来ること。それによって、機能障害を未然に防ぎ、社会への参加が問題なく行える。そのための、環境因子や、個人因子というベースを整える。その上で、これまで暮らしている通りの健康状態を維持、キープ出来るというメカニズム。それが、介護サービスの仕事であり、この、暮らし診断の内容である。ICFでの合理的な考え方からで成り立っている。

ケアマネージャーによる、診断材料としてのデータをとるアセスメントが基礎となる。一人一人において、どのようなハザードやリスクがあるのかの分析も必要になるし、ハインリッヒの法則に基づいて、三層においての事故が起きる可能性も探っていく必要を持つ。利用者が持っている最大のストレングスが何かを発見し、それを活かすことを勧めるのは言うまでもない。アセスメントする側の介護支援専門員には、傾聴と洞察が必須となる。それが介護サービスの良点である。

このサービス診断制度をアピールする上でのスローガンとしては、「今までしてきた生活の質を維持することを譲れない。今まで暮らしてきた生活の質を落とすことを許せない。」内容的には、正しいわがままで、正当な自分への要求になる。つまり、わがままを形にする介護サービス制度となること。現段階では、「わがまま」だが、この制度が社会全体に普及した後は、持っていて当然の主体性を重んじた権利という認知となると思う。

つまり、介護予防の技術サービスを、老化防止に使うということ。介護技術で老化防止をするのではなく、老化防止を介護技術で行うということ。

「暮らし診断」と、介護予防との分かりやすい違いは、老化することによって、長い間、今まで生きてきた考え方を、シフトする必要性があり、つまり、一つの判断として、「あきらめなければならない」のに対して、暮らしの物理的な維持だけでなく、自らの今までの人生に対する考え方も、まったく変えずに、維持するということを目的に含んでいるということ。これが、違いである部分である。老化を遅らせるのではなく、健康な状態を維持するという概念での「老化防止介護」となる。老化が進んで、介護予防をしないといけない年齢で、状態だが、それが老人っぽくて、若さを捨てるみたいで嫌だ、違和感が大きく存在するという人に適した介護サービスでもある。

ライチャードによる高齢者の人格の分類は、円熟型、安楽椅子型、装甲型、自責型、憤慨型の5つとされているが、僕は、どの型でもない、いわば、自然形という概念が存在すると思う。何故なら、高齢者とは、ただ、年を重ねただけの若者であり、あえて、そう分類する必要性はなく、分類する意味も皆無に等しいということ。考え方が何も変わらない、安全性を重んじた老化にともなった暮らしだけを変化させる、その対応性が重視されるということ。つまり、老化し、自然に年を重ねた暮らしの形が求められるということとなる。誰でも、今日から死に向かって生きていってくださいという処置をされたら、心の老化という現象は起きて当たり前であり、高齢者という単語の存在、使用が、心の老化と直結していることは間違いないと言えると思う。高齢者という単語は、人間の人格に関するハラスメントであるということに気づく必要があり、まずそこから始めることが大切である。

介護が必要になった時期が来ても、高齢者という立場ではなく、どこにでもいる一人の自立した人間として、アンチエイジング(暮らし診断)の延長線上として人の力を借りるということを、介護と位置づけるという価値観を持って、介護サービスの提供を受けることが実現出来る。介護とアンチエイジング(暮らし診断)の概念は、老化に伴った補助、(出来ることの)後押しが目的にあり、受ける時期が違うことの介護技術のサービス制度であるということ。つまり、老化をしても、老化防止(アンチエイジング)の概念で対応していくことが必要ということである。

障害者支援において、自立支援が行われる過程での利用者の滞留は、三時期に分かれる。一時期目は、出来ることが少ない時期。この時期の介護職員による介助は、出来ないことの援助(支え)になる。二時期目は、出来ることが多い時期。このような時期の介助は、出来ることの補助(後押し)となる。そして、三時期目は、高低(数値)の概念がない状況のスパンである。このスパンの介助とは、バックアップ(後ろだてとなること。援助してもりたてること)である。このスパンとは、すべてのことが出来ることによって、理屈的に、健常者と同じと言える状態の時期を指す。マズローの欲求五段階説の、自己実現の欲求を完全に満たしている状態になる。この事実は、概念が変わることを示す。承認の欲求までと、自己実現の欲求との壁を、完全に超えることが、障害者支援においての最終的な課題となる。これは、介護においても同じことがあてはまると言える。

人間の老化は自然現象である。が、精神の老化は、エンパワーメントの視点が必要となり、さまざまな、高齢者と言われる人に対してのハラスメントが関係していると考える。それらを全部取り除けば、精神の老化を最小限に留めれると考える。人間は、生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、自立した戦士であり、戦士の誇りを誰も失いたくないものである。その戦士の誇りは、人生を生きるということの基礎(土台)であると言え、つまり、誇りを途中で失う、または、奪われた人間は、生きるということに臆病に接するようになる。つまり、ガード意識を持って暮らすということである。いずれ死ぬことは、確実な事実であることから、構える必要はまったくないのであり、それに怯えて暮らすなんてばかげていると言える。戦士の誇りが維持されることで、生活のすべてが建設的に成立するのである。ICFの背景因子に、環境因子、個人因子の他に、普遍因子という概念が必要になる。それが、戦士の誇りを指す。それに伴った、健康状態へとつながるというICFの仕組みになる。この普遍因子が完全に起動するためのアドボカシ―が必要となるのである。「高齢者」という軍旗を立てるのを辞めてしまうその福祉改革が求められると考える。そのための「暮らし診断」という介護サービス制度の実行性なのである。普遍因子の起動の維持のためには、この介護サービス制度が的確な役目を果たすと考える。つまり、精神の老化を最小限に留めれば、介護が必要な利用者であっても、自立支援の援助を受け、地域住民や、福祉の力を借りて、最終的な目標の段階に達することで、理屈的に、生まれてからずっとしてきた生活と同じと言える生活が送れることが、理論上可能であると言えるということである。

いわゆる、ハラスメントと呼ぶことは、人間社会が持つ秩序が原因で生じる事象であり、言い換えると、天然犯罪と呼ぶことが出来ることである。あえて名前をつける意味はあまりなく、そういうものは、太古から人間社会にあったものであると考えられる。高齢者と言われる人に対してのハラスメント、人間の人格に関するハラスメントは、パワハラやセクハラなどの、人間社会があるから生まれるハラスメントではなく、人間社会がそうだからこそ生まれてしまうという、当事者主体のハラスメントであるということ。だからこそ、改革が可能であり、価値観を転換することで問題解決が出来るということになる。

自立支援は、健常者、もしくは、ずっとしてきた暮らし、つまり、何も問題がない状況の心身の、福祉を使った再現、維持が目的であり、したがって、根底にあるのは、「自分で何かをすること」という概念の援助の反復である。

介護保険というのは、正確には、「保険介護」である。介護保険を使うというより、保険の要素がある介護を受けられるというのが正しいと言える。保険というのは、直接、金銭によって、保険をかけていた人に、そのプラス要因が発生するものを言うのであり、介護保険は、そうではなく、金銭は、間接的なものでしか過ぎず、そういったものを保険と言い切るのには無理があると言えるからである。つまり、介護問題を保険で解決するという考え方には、夢はあるが、厳密に言えば間違った言い方となるのである。介護問題を解決するのは、金銭ではなく、単なるやさしさであると僕は思う。つまり、やさしさを活かした技術、それを行う介護士自身が、介護問題を、直接的に解決する要因と言い切ってしまってよいと言えると思う。暮らし診断は、いわゆる、介護士が行う健康診断であり、介護問題の解決分野において、成果を発揮するものと思う。

老化は、自然現象であり、悪いものではない。逆に、僕は、かっこいいと思う。姿は変わっても、人間の形は変わらずに維持出来る。21世紀の社会はそうあって欲しいと思う。

介護において、介護サービスは、「老化して困ることへの世話」であるからして、老化防止の概念で対応するべきことが、正解であると言えるということである。

まとめると、アンチエイジングの延長線で介護をするには、どうすればいいか。それは、介護士版の健康診断制度を設ければいいと思う。ICFの個人因子と環境因子を整えるアドバイスをする制度であり、これを受けた利用者や、利用者の家族が、自分で行動を起こし、自分自身の暮らしを「整備」する。こういった仕組みの制度になる。

人間には、前二つ以外に、普遍因子というのがあり、戦士の誇りと言えるもの。それは、しっかりしていたい。つまり、自立のことを指す。天秤で、そのようなバランスがとれている時期を、永続的に継続、維持する目的の制度であり、この制度があることで、後の時期に行われる「介護」も、同様にアンチエイジングの形態で行われるということとなる。

結論として述べる。つまり、2、3をふまえて、「先に行われる老化防止と、後に受けることとなる介護が、一つの直線の上で成り立つもの」ととらえると分かりやすいと思う。要するに、介護が、アンチエイジングと統合すると考えていいと思う。新たな、アンチエイジングの概念の、高齢の人への福祉制度としての、介護サービスが生まれるということになる。

イデアの介護サービス制度。「アンチエイジング介護保険」。

 

 

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