SENSE OF BLUE DISTORTION

「介護」のテーマである話

僕が思う、マレーシア航空370便事件の真相。

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人が死を選択した時、どういう死に方が一番いいと思うのか、ということである。人間は夢を持っている。正しく死を選択したいという自由、権利を手に入れたいという夢である。自分がコントロールして正しく死ねるのが一番いいのである。

選択する死とは、自殺しかない。しかし、自殺には苦しみが伴う。それを避けて可能なものがないことは、誰もが分かってる。だったら、残りはこれしかない。つまり、人の理想の死に方は、楽しみながら、自殺行為で死ぬこと。楽しみで苦しみを消してしまうという、そういう死。それは、つまり、ゲーム的に死ぬということ。楽しみで苦しみを押し、消してしまう。楽しんで自殺する行い。物理的には、自殺だが、本人の中では正しい死だと、正しく死を選択したいう錯覚に陥る状態。死をコントロールしてる行為だと位置づけてしまう。だが、実際は違う。完全な自殺行為である。

僕は、「ノルウェイの森」の一場面にある、緑が空想する、二人で海賊につかまるシーンを自殺に置き換えてとらえている自分があることに気付いている。心中願望がある二人が、たまたま乗り合わせた船で、海賊に遭遇し、裸にされて、体を向かい合わせにぴったりとかさねあわせたままひもでぐるぐる巻きにされ、海に捨てられるという風に。これにより、ネガティヴじゃない心中が完成する。これには、海賊が、何らかの理由で、乗客を全員裸にして、二人一組でぐるぐる巻きにし、海に放り込むパターンと、海賊が、恋人と気づいた上での、一種の遊び心からのパターンの二通りが思い浮かぶ。これが、僕の考えるゲーム的に死ぬという行いにあたることである。これは、人の一方的な補助があった心中となる。

つまり、消えたマレーシア航空370便事件の真相は、機長の、夢の自殺プランだったと言えると僕は、思う。自宅でのフライトシュミレーションでプランを計画し、まるで、世界一周を計画してるような感覚。後は、乗客を乗せたまま、安全に、一切のミスや、ネガティヴ要素のない操縦で、海に着水し、ハッピーエンドを迎えるという、二次元的世界観による、世界一優雅な旅行計画という風に、機長の頭の中では成立していたのではないかと思うのである。