SENSE OF BLUE DISTORTION

「介護」のテーマである話

令和の時代に成し遂げるべきこと

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戦争と平和は、対するものではなく、一つの目的を達成するための異なる手段。何かを達成するのには、多方向から攻めた方が実現しやすいということからである。だから、平和を志す人が、戦争を愛しても矛盾ではない。

太平洋戦争の時代、愛に力があるという考えはなかった。だから、その時、戦争を始めた人達は、平和という目的を達成するために、それを、戦争という力で成し遂げようとした。今、我々は、愛の力を持っている。それは、戦争を非難、否定する力である。

だが、愛の力というのは、平和の視点というフィルターを持つことである。つまり、戦争を否定するあまり、平和と戦争の溝を分け、まったく違うものと分別してしまうことになる訳である。このことにより、平和は保たれてきたと言える。いわゆる、「平和の時代」とはそういうものである。だが、これで、愛の力が発揮出来たとは僕は思っていない。それは、これは、愛を思う気持ちや、考え方、感性などが生み出した結果であり、我々日本人や、世界中の人が思う、平和の達成には程遠いからである。

じゃあ、平和の達成とは何なのか。
それは、「愛の資質を知る」ということである。
愛の力とは何なのかということの部分である。
そもそも愛に力があるかということになる部分となる。

平和の達成に努力してきた70年間、その結果と言うべきものが、「フィジカルに」何も世の中にない。この事実から、僕は、愛には、THINK、つまり、思うという資性がないと言うべきではないかという結論に達した。「その事実を知り、認めることが愛の力」なのではないかと思う。つまり、感受性の勝利ということである。

そのことにより、正しい妥協が出来る。つまり、達成する必要がないということへとつながるからである。
じゃあ、我々にとっての平和の達成とは何なのか。
それは、「レベルが高いから出来ること」ではなく、「レベルがゼロだから出来ること」という概念を見いだすことである。
このことにより、そもそもの達成という概念が変わる。
「我々、人類にとっての達成とは、逃げ出すことにより叶うもの。」というものになる訳である。

平和を押し進めた結果、戦争へと入ってゆくのなら、どうすれば平和を達成出来るのか。それは、戦争を捨て、何かを達成するという使命から、逃げ出してしまうことなら、達成出来るのではないかという理屈である。

愛の視点で戦争を学ぶことは、愚かで、無能の人がすること。大切なことではあるが。それは、自己満足の分野となるからだ。
「愛を大切に思ってる人が、愛のフィルターを通さずに戦争を知ること」。本当に、平和を達成したいのなら、これが条件だ。
「戦争のすべてを良くも悪くも正しく知ること」。愛の力で。

 

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